国際法からみた便衣兵の処罰[03]便衣兵とは何か

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国際法からみた便衣兵の処罰ic
国際法からみた便衣兵の処罰 総目次
1.はじめに
2.研究者の議論
3.便衣兵とは何か
4.便衣兵の法的性質
5.戦争犯罪人の処罰方法
6.戦争犯罪の処罰に裁判を実施した事例
7.無裁判処罰を違法とした判例
8.まとめ
9.参考文献

便衣兵とは何か

 便衣兵の国際法学上の位置づけを確認してみたい。戦時国際法学者の信夫淳平は、便衣兵(便衣隊)を次のように説明する。

信夫淳平『戦時国際法講義2』
八二三 交戦者たるの資格をみとめざる常人にして自発的に、又は他の示唆を受け、敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者を近時多くは便衣隊と称する。彼らは専ら私服を着し(便衣は制服に対する私服を意味する)、凶器は深く之をポケット内に蔵し、一見無害の常人を装ふて出没し、機を狙って主として敵兵を狙撃するもので、その行動には多くは隊伍を組まず、概ね個々に潜行的に蠢動するものであるから、隊の字聊か妥当を欠くの嫌あり、私服狙撃者と称するを当たれりとすべきが、便衣隊の語は簡であり、且昭和七年の上海事変当時より邦人の耳にも慣れて居るし、且彼等の仲間には自ら一系脈の連絡ありて、自ら一種の隊伍を組めるものと見ればみられるでもない。便衣隊と称すること必ずしも不当ではあるまい。

信夫淳平『戦時国際法講義2』p77

 この説明によれば、便衣兵とは「交戦者たるの資格をみとめざる常人」であり、「敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者」であると説明する。ただし、この場合、「常人(=一般人)」といっても、それは態様が「常人」というだけで、その実態が軍人であるか、一般人であるかを問うてはいない。見た目、姿形が「専ら私服を着し」「一見無害の常人を装ふ」者が、「便衣隊」だというのである。
 信夫の別の記述からは、便衣隊が「常人」(=一般人)だけではなく軍人も含まれていたことは、第一次上海事変の時、国際法顧問として従軍した体験を次のように記していることからも分かる。

信夫淳平『戦時国際法講義 第2巻』
八二六 近代にありて最もうるさい便衣隊の出没を見たのは、昭和七年の上海事変の際であつた。この事変の勃発したる当時、我が海軍陸戦隊の歩哨兵、通行兵、その他在留邦人にして支那便衣隊のために不足の危害を受けた者は少なからずあつた。彼等の中には学生あり、労働者あり、将た正規兵の変装せる者もありて、その或者は当時主として皇軍に対抗せる支那十九路軍の指揮を直接に受け、或はその傍系に属し、或は軍外の特定団体の使嗾の下に行動するが如く、その系統は一様でなかった。

信夫淳平『戦時国際法講義 第2巻』p.80

 「彼等の中には…将た正規兵の変装せる者もありて」と書いているように、便衣隊の構成員は私人(常人)に限らず私服(便衣)に変装した軍人もいた。

 残念ながら、国際法学者で便衣兵(便衣隊)を直接論じる学者は少ないので、現在、確認できた見解は信夫のものしかない。
 信夫の見解をまとめると、便衣兵(便衣隊)とは、軍人または私人が、私服(便衣)を着て(軍人の場合は市民に変装して)、「敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者」ということである。

南京事件の便衣兵

 ところで、南京事件での「便衣兵」と、信夫が言うところの「便衣隊」とには違いが見られる。それは、南京事件の便衣兵は逃走することが主たる目的であり、信夫が書くようなる敵兵殺害又は敵物破壊を目的としたのではないということだ。この点について、吉田裕氏は、「本来の意味での戦闘者としての「便衣兵」は、南京ではほとんど存在しなかったといっていいだろう」として、次の3点の史料を引用する。

奥宮正武『私の見た南京事件』
 便衣兵あるいは便衣隊といわれていた中国人は、昭和七年の上海事変のさいはもとより、今回の支那事変の初期にも、かなり積極的に、日本軍と戦っていた。が、南京陥落直後はそうとはいえなかった。私の知り得る限り、彼らのほとんどは、戦意を完全に失って、ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを、通常いわれているゲリラと同一視することは適当とは思われない。

奥宮正武『私の見た南京事件』PHP研究所、1997年

『南京戦史』
城内における中国軍の抵抗は予期に反して微弱であ(った)

『南京戦史』偕行社、1988年

証言による「南京戦史」(7)
(歩兵第6旅団 副官 吉松秀孝)
 城内進入にあたっては敵の撤退が意外に迅速で、予期した抵抗に遭遇せず、[中略]極めて迅速に[掃蕩を]終了して引き揚げた。

証言による「南京戦史」(7)(『偕行』1984年10月号)

 また、南京に留まり取材を続けたシカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者は次のように報じている。

シカゴ・デイリー・ニューズ 一九三八年二月四日
A・T・スティール
逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。

『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』p476

 以上のように、南京事件での「便衣兵」とは、通常の意味での便衣隊・便衣兵ではなく、正規兵が逃走のために私服化したものであり、信夫が言うような「敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者」ではなかった。

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