歩66捕虜殺害事件 板倉説批判 総目次 |
1. はじめに 2.「聯隊命令の要旨」時系列の矛盾 3.「捕虜監視」命令の矛盾 4.「五」「六」と史実の矛盾 5. まとめ 6. 参考資料 |
はじめに
歩兵第66連隊第1大隊の捕虜殺害事件とは、同大隊が1937年12月12日に捕獲した捕虜「一五〇〇余名」を、13日14時に受領した連隊命令に基いて殺害した事件を言う。この事件の特色は、捕虜を殺害したことを戦闘詳報という公文書で明記していること、しかもその発意は旅団からであることが明記されていることだろう。これは、捕虜殺害という明らかな国際法違反行為に軍が組織的に関与したことを示すものであり、戦闘詳報が上層部への報告書という形式であることを考えると、捕虜の殺害について軍上層部も十分に把握していたと判断できるケースと言える。
本稿で取りあげる板倉由明氏の主張は『本当はこうだった南京事件』pp.123-129に掲載されている。
板倉氏の主張を要約するならば、この捕虜殺害が明記された歩兵第六六連隊第一大隊戦闘詳報(本項は歩66第1大隊戦闘詳報とする)の記述の細部の「誤り」を指摘し、その信憑性を低下させることで、捕虜殺害命令は捏造だったという「可能性が必ずしも否定できなくなる」、「(命令を)改竄した可能性も出てくる」と主張する。つまり、捕虜殺害自体を否定するのではなく、捕虜殺害は第1大隊の独断であるとする。その独断を隠蔽する為に戦闘詳報で旅団・連隊命令を捏造したのである、というのが板倉氏の主張の全体像である。
本稿では、歩66第1大隊戦闘詳報における事実の捏造がある、もしくは史実との相違があるなど、板倉氏が指摘する見解を検証する。
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