佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判03 便衣兵殺害論

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判 戦時国際法
佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判
佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判 総目次
1.はじめに
2.戦数論
3.便衣兵殺害論
4.捕虜殺害論 オッペンハイム所論について
5.捕虜殺害論 事例検討
6.まとめ
7.参考資料

便衣兵殺害論 

 佐藤氏は南京戦の事例に即して、「南京城内外での激戦の結果、安全区内に遁入・潜伏する支那敗残兵の数は少なくなかった」として、次のように評する。

 一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)逃走する敵兵は、投降したとは認められないので、攻撃できるのである。安全区に逃げ込んだ支那兵は、投降して捕虜になることもできたのに、それをしなかったのであり、残敵掃討が諸国の軍隊にとってむしろ普通の行動であることを考えると、敗残兵と確認される限り、便衣の潜伏支那兵への攻撃は合法と考えられるが、安全区の存在とその特性を考慮に入れるならば、出入を禁止されている区域である安全区に逃げ込むことは、軍律審判の対象たるに値する戦争犯罪行為(対敵有害行為)を構成すると認められ安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく、彼らに正当な捕虜の資格がないことは既に歴然としている。
 兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられることもやむを得ない。
多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)―軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは「現実として能力的に不可能であった」と認めている―、また市街地における一般住民の眼前での処刑も避ける必要があり、他所での執行が求められる。したがって、問題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、違法な虐殺行為ではないと考えられる。

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」『正論』2001年3月号、p.317

 佐藤氏の見解を要約すると、「安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく、彼ら(便衣兵)に正当な捕虜の資格がないことは…歴然としている」から、「兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれれば、死刑に処せられることもやむ得ない」となる。
 しかし、「安全区内での摘発」という行為そのものをもって「現行犯の逮捕に等しく」とする論理的な機序の説明はない。一般的に言うならば、現行犯の要件とは「1.現に罪を行い、又は現に罪を行い終った者を現行犯人とする」(刑事訴訟法第212条第1項)としているように、行為者が逮捕される状態を現行犯の要件としている。(※1)しかし、佐藤氏の主張は行為者が逮捕される状態に関わらず、「安全区内での摘発」という摘発者の行動をもって現行犯の要件としている。もし、「安全区内での摘発」という行為が「現行犯の逮捕に等しく」なるという特殊な機序が存在するというのであれば、そのことを説明しない限りその特殊性の当否を判断できない。したがって、この様な検証可能性のない見解は科学的な見解とは認めることは出来ない。

 なお、便衣兵の現行犯については、信夫淳平は次の様な指摘をしている。

然るに便衣隊は交戦者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交戦法規違反である。その現行犯は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて之を戦時重罪犯こと固より妨げない。
 たゝ然しながら、彼等は暗中狙撃を事とし、事終るや闇から闇を傳つて逃去る者であるから、その現行犯を捕ふることが甚だ六ケしく、會々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い。嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、漠然たる嫌疑位で之を行ひ、甚しきは確たる證據なきに重刑に處するなどは、形勢危胎に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏當でないこと論を俟たない。

信夫淳平『上海戦と国際法』p.126

 「その(便衣兵の)現行犯を捕ふることが甚だ六ケしく、會々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い」というように、「摘発(捕ふる・捕へて)」という行為をもって「現行犯の逮捕に等しく」とはせず、逮捕の状況をもって「現行犯」なのか「嫌疑者」なのかを判断している。
 便衣兵の現行犯者というのはまさに攻撃を実行しているような状況を言うのであり、信夫の指摘するような便衣兵の現行犯の例示と比較しても、南京事件の便衣兵のケースとは一致しない。

 以上の検討から、「安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく」という佐藤の主張には、論理上からも戦時国際法学者の見解からも妥当性はないと思われる。

 当時の安全区内の状況から考えて、国際委員会が武装解除し収容した中国兵(例えば外交部・最高法院等へ収容したケース『南京の真実』p.109)の中の便衣兵以外は、便衣(私服)に着替えて安全区内に潜伏したのであり、その様な潜伏した者の摘発は嫌疑者の摘発に過ぎない。この様な嫌疑者は「軍律審判の対象」である以上、軍律審判を実施しなければ不法と言わざるを得ない。

※1 刑事訴訟法 第212条
1.現に罪を行い、又は現に罪を行い終った者を現行犯人とする。
2.左の各号の一にあたる者が、罪を行い終ってから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。
 1. 犯人として追呼されているとき。
 2. 贓物ぞうぶつ又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
 3. 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
 4. 誰何されて逃走しようとするとき。

戦数適用の妥当性 

 佐藤氏は、原剛氏による南京の状況分析により、当時は軍律審判の実施は不可能であり、「軍事的必要(戦数)」が適用される状況であるという。

 兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられることもやむを得ない。多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)―軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは「現実として能力的に不可能であった」と認めている―

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」『正論』2001年3月号、p.317

 既に別稿にて軍事的必要論=戦数の適用には学術上賛否が分かれることは指摘をした。
 仮に戦数の適用を認める立場を取るとしても、その戦数の適用に制限がある。フォングラーン及びオッペンハイムの指摘を引用していることで、佐藤自身もその点は認めている。

フォングラーン

  • 「必要」に関する誠実な信念や確実な証拠が存在する場合
  • 極度の緊急事態の不存在や、軍事的成功への寄与の欠如が明らかにされたならば、軍事的必要を根拠にした違法行為は、戦争犯罪を構成するものになる

オッペンハイム

  • 敵兵を捕獲した軍隊の安全が、捕虜の継続的存在により、死活的な重大危険にさらされる場合には、捕虜の助命を拒否できるとの規則がある

 12月13日以降、南京は日本軍の制圧下にあった。中国軍司令部は退却を命令し、中国軍部隊は撤退していた。南京城内には、逃げ遅れた中国兵が残るのみで、城内や安全区内では戦闘はほとんど無い状態だった。城外に取り残された中国軍部隊や中国兵士は退却の為に散発的な抵抗をしているに過ぎなかった。この様な状況において、便衣兵容疑者たちは武器を持たず抵抗を示していない状態で摘出を受け(概ね南京城内もしくは安全区内)、日本軍の権力下に置かれることになった。

 仮に、原剛氏の指摘するように「多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判したり審判することは能力的に不可能であった」ことを認めるとしても、そのこと自体から「極度の緊急事態」「死活的な重大危険」を認めることは出来ない。
 この様な状況から鑑みて、戦数の適用條件から外れており、佐藤氏の立論には無理があるだろう。

 同時に多数を軍律審判にかけることが出来ないのであれば、嫌疑者を拘留した上で、時間をかけて小人数にわけて審判を実施すればよかったのである。
 もしくは、拘留することが不可能だったと抗弁するかもしれない。しかし、12月13日以降の状況を示した通り既に戦闘が終結していたのだから、拘留することが不可能であるならば、十分に武装解除を実施した上で解放(もしくは追放)すればよい。国際法学者ホールは、多数の捕虜を捕獲しても保護できない場合は解放することを指示している。ホールが指摘している軍事的必要と人道との衡量関係から考えても、この様なケースでも十分に妥当しているだろう。(※)
 戦争では敵兵を皆殺しにすることが目的ではなく、戦闘外におくことが目的なのだから、これらの方法で十分に戦争の目的を達成することが出来るのである。

※信夫淳平『戦時国際法講義 第二巻』p.361
……敵兵の俘虜収容に力を割くことに依り戦局が不利に陥ること歴然たる場合には、その収容に齷齪(あくせく)するに及ばざるべきも、収容するの余力ありて之を収容し、しかも安全の収容覚支なしと為して之を片付けて了ふが如きは妥当ではない。……斯かるは今日の交戦法則の許さざる所で、その収容到底不可能といふ場合には、ホールが『解放すべき俘虜なり将たその奪回に成功すべき敵軍が、転じて我方に虐殺又は虐遇を加ふるものと認むべき理由ある場合は別なるも、然らざる限りは、俘虜にして之を安全に収容し置く能はざる場合には之を解放すべきである。敵の兵力を増大することの不利は人道の掟則を破るの不利に比すればより小である。(Hall, Ibid.)と云へる如く、之を解放するのが現代の国際法の要求する所で……

軍律審判が実施困難である場合の判例との比較 

 軍律審判が実施が困難となるような過酷な状況であっても、その様な抗弁が認められないことはBC級戦犯法廷の判例も明らかである。
 下記のケースは何れも戦時反逆罪に該当する容疑者を日本軍が殺害したケースで、戦後、BC級戦犯法廷で審判されたケースの弁護側の主張の抜粋となる。

  • 「戦況は日本軍に不利で混乱状態にあり、軍律会議を開く時間的余裕もなく」第一モールメン・タキン事件
  • 「裁判など開く余裕はなかったこと」カラゴン事件
  • 「多くの人間を収容しておく建物がなかった」西ボルネオ抗敵陰謀事件

 これらのケースは、現地での日本軍の軍事的優位性を失った時点でおこった虐殺事件だった。南京戦における掃討戦のように、日本軍の軍事的優位性が十分にあったものとは状況がまったく違うことに留意すべきだろう。
 いずれのケースでも、弁護側は上記様な抗弁をしたものの判決では認められず有罪となっている。(※)

※これらの判例に関しては下記ページで紹介しているので参照戴きたい。
無裁判処罰を違法とした判例

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