交戦法規違反者の捕虜資格

交戦法規違反者の捕虜資格 戦時国際法
交戦法規違反者の捕虜資格
戦時国際法講義第一巻-信夫淳平肖像
戦時国際法講義第一巻-信夫淳平肖像

 ws南京事件資料集で紹介した「一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討」の中で、交戦法規違反を正規兵の捕虜資格について言及している部分があるので簡単に紹介したい。
 本資料は、戦後、戦犯裁判に備えて作成されたレポート群の一つであり、1929年ジュネーブ条約を日本が「準用」すると表明したことに関連して、国際法学者が設問に回答したものをまとめたものである。
 今回取り上げるのは戦時国際法学者の信夫淳平の回答で、「戦時重罪違反者は最初より俘虜として待遇を為さすして可なるや」という設問に対する信夫の見解である。
 以下、信夫の原文を引用し、その後にその原文の解釈をする。

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部 

(第一問の四。戦時重罪違反者は最初より俘虜として待遇を為さすして可なるや)

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 この設問は、敵兵を捕らえた際、その敵兵が「戦時重罪違反者」=交戦法規違反者だった場合、捕らえた瞬間(「最初」)から捕虜として取扱いをすべきなのか、すべきではないかを問うものである。
 この設問の目的は、例えば、日本本土の居住地へ無差別爆撃を行っていた米軍機を撃墜し、その搭乗員を捕らえた場合、非防守地域への無差別爆撃は交戦法規違反であるから、捕らえた搭乗者は捕虜として取り扱う必要はないのではないのか、というものである。
 ハーグ陸戦規則第1条で示されている交戦者資格四条件の一つである「四.其の動作に付戦争の法規慣例を遵守すること」を念頭に、この条件に違反しているのだから交戦者とは言えず、交戦者でない以上は捕虜として取り扱う必要がない、と言いうことだろう。

(K-K註:信夫淳平の回答)
その故は、著し最初より俘虜として取扱ふものとすれは戦律犯人にしても身分は俘虜なるか故に、捕獲国は法規慣例の命する取扱を為し、処罰するにしても俘虜待遇条約の加入国、又は加入国に非さるもその準用国にありては、特定の手続きを尽したる上のこととなるか(例へは裁判には弁護人の帯同を許すか如き、上訴権を認むるか如き―同条約第六一条以下)、之に反し俘虜として取扱はさるものとすれは、捕獲国は斯かる規定に拘泥せす、任意の手続と方法にて之を処分するを得との論も立つへし。

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 信夫は上述の設問に対し、①最初から捕虜として取り扱うべき考え方と、②最初から捕虜として取り扱わなくてよい考え方の2通り分けて以下のように整理する。

①最初から捕虜として取扱うとすれば、交戦法規違反者であっても身分は捕虜なのだから戦時国際法による捕虜として取り扱い、処罰するにしても1929年ジュネーブ条約(捕虜条約)に定められた手続き(裁判には弁護人の帯同を許可する、上訴権を認める等)を尽くす必要がある

②最初から捕虜として取扱わないとすれば、捕獲国は捕虜条約の規定に拘泥せず、任意の手続きと方法でこれを処分できる。

勿論対戦国の権内に陥れる敵人は、俘虜の名を付すへきものなると否とを問はす、又条約の有無に拘らす、又該條約の加入国たると否とを論せす、之を取扱ふに人道を以てすへきは国際の通義なるか故に勝手気儘に処分するなとの乱暴は許されさるの理なるか、技術的には斯く論し得られさるに非さるへし
英国の一九三六年改訂の軍事法提要には
第五十七節に俘虜と為すを得る者を列挙し、その首号に「軍隊の構成員、但し戦争犯罪人を除く」と摘記す。故に戦律犯に問はるる者は初めより俘虜とせす、随つて俘虜としての取扱を為ささらんとすれは為ささるも可なりか如き規定なりとす。

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 上述の2つの考え方に分類する上で、信夫は次のように注釈をつける。

 理論上、捕虜の身分の有無に関わらず、又は条約の有無やその加入国であるか否かに関わらず、捕獲した敵戦闘員を取扱うのに人道をもってすべきは国際上の通義であるのだから、「勝手気儘に処分する」などの乱暴は許されない。
 しかし一方で、「技術的には斯く論し得られさるに非さるへし」=技術的には以下のように論じられなくもない、として、イギリスの軍事法提要(1936年)を第57節を引く。同提要では、捕虜とすることが出来る者として「軍隊の構成員、但し戦争犯罪人を除く」と記されていることから、「戦争犯罪人」=交戦法規違反を疑われる者は最初から捕虜として取り扱わないことも可能であるかのような規定となっている。

然れとも身見にては、俘虜の身分は彼か敵の政府の権内に陥ると同時に発生し、ために俘虜となれるに至れる事前又は事後に於て特定の事由に因り人道的取扱の一般的原則より除外さらることあるも、そは取扱上の差異なるに止まり、俘虜たるの身分に於ては変わりなきものと信す。

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 一方、信夫自身の見解としては、捕虜の身分は「敵の政府の権内に陥る」(=敵に捕獲される)と同時に発生する。交戦法規違反を理由として、人道的取扱いの一般原則(捕虜条約の規定など)から除外される場合があるとしても、それは取扱い上の差異に止まり、捕虜としての身分であることに変わりはない。
 ここでいう「人道的取扱の一般的原則より除外さらることある」というのは、「特定の事由」つまり、捕虜条約に定められた手続きによって交戦法規違反が判決された場合に処罰を受けることを示しているのだろう。

仮に戦律犯を為せる敵は対戦国政府の権内に陥る場合には俘虜に非すとすれは、それか果して戦律犯人なるや否やは査問して見た上ならては判明せさるか故に、査問の結果戦律犯人に非すとのことか立証せらるる迄は俘虜の取扱を爲ささるも可なりと云へるへく、極端に言へは、直ちに之を殺すも妨けすといふ論にもなるへく、そは人道上面白かさる論に非さるか。

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 仮に、交戦法規違反を犯した兵士が敵政府の権内に陥った場合に捕虜として扱われないとのならば、交戦法規違反の立証が済むまでは捕虜としての取り扱いを受けず、極端に言えば直ちに之を殺すことも妨げないという論にもなり、人道上好ましくない論ではないか、と信夫はいう。

 私見だが、この説明の論旨に矛盾を感じる。先の説明で「之(被捕獲者)を取扱ふに人道を以てすへきは国際の通義なる」という国際法理論があり、捕虜として取り扱わないとしても「任意の手続と方法にて之を処分するを得」とする以上、交戦法規違反の判決により捕虜身分が確定するまでの間であっても、「人道」や「任意の手続と方法」(=軍律審判)に則る必要がある。
 理論上求められる「人道」、捕虜身分以外に求められる「任意の手続と方法」(=軍律審判)に反するような「直ちに之を殺すも妨けすといふ論」が成立する余地はないだろう。
 ただし、ここで述べている信夫の見解が、英国軍事法提要第57節の文章と整合させる意味があるとするならば、整合の不完全がこの見解に表れているとも言える。

俘虜は敵の権内に陥れるその瞬間に於て俘虜たるものにして、捕獲国か俘虜たるに至れる事前の行為を審理し、之に俘虜たるの取扱をなす事を決したる上にて俘虜となるものには非す、俘虜は人道的取扱を受くるものたるに於て始めて俘虜たるに非すして、俘虜たるの身分に於て即ち俘虜たるものなりとす。

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 捕虜は敵の権内に陥ったその瞬間に捕虜となるものであり、捕虜となる前の行為の交戦法規違反の立証の決定により、(違反がないことが決した上で)捕虜となるのではないし、人道的取扱いを受ける者だから捕虜となるではない。
 捕虜は、捕虜としての身分を保持しているからこそ捕虜となる。

 ここで言わんとしていることをまとめると次のようになる。
①捕虜は捕らえられた瞬間より捕虜の身分を得る
②したがって、捕獲され交戦法規に違反していないことが裁判で確定するまでは捕虜として取り扱わない、ということは出来ない
③また、たとえ交戦法規違反が確定し処罰される、つまり、処罰されることで人道的取り扱いを受けないことになっても、捕虜の身分が無くなるわけではない

俘虜か戦律犯人なるか故に之に対する人道的取扱に取捨を加へ、法に導つて之を処分すれはとて、之に依り俘虜たるの身分そのものか当然剥奪せらるるものと見るは、或取扱の依つて生する基本的身分と、身分あるか故に之に対し為す所の(及為すへき筈なるものも特定の事由に因り為ささる所の)或取扱とを混同するものにして、正鵠の見に非すと應す

一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 捕虜が、交戦法規違反者であるという理由で人道的な取扱いに取捨を加え、法に従い処分されるからといって、この処分により捕虜としての身分そのものが当然はく奪されるものとみるのは、

  • 人道的な取扱いを受けることによって捕虜としての基本的身分が与えられるということと
  •  捕虜としての身分があるから捕虜として取扱われる(もしくは、戦律犯として処分を受けることで、捕虜としての本来の待遇を受けられない)ということ

を混同するものであり、正しい見解ではない。

まとめ 

 信夫の見解をまとめると

  • 交戦者は、敵に捕獲された瞬間に捕虜となる(捕虜の身分となる)。
  • 捕獲される前に行われた交戦法規違反や交戦者資格の欠格は、捕虜の身分に影響しない。
  • 交戦法規違反の疑いがある場合には、1929年ジュネーブ条約(捕虜条約)の手続きに則り裁判を実施した上で処罰するべきである(信夫の言によれば、「取扱上の差異」)。
  • 国際上の通義として、敵に捕獲された交戦者は、捕虜の身分の有無、条約の加入の有無に関わらず、人道をもって取り扱うこととなっている。
  • 捕虜として取り扱わないとしても、「任意の手続きと方法」(軍律審判)で処分することになる

 南京事件における「便衣兵」問題の中で、「便衣兵」は、制服を脱いだ時点で交戦者資格を欠格しており、捕虜として取り扱う必要はないというのが、否定論の主な主張だった。
 ところが、ここで取り上げたの信夫の見解を見ると、たとえ交戦者資格が欠格し、交戦法規違反の疑いがあるとしても、捕虜の身分を保障しなければならないということになる。
 また、たとえ交戦法規違反について無罪が決定するまでは捕虜の身分が与えられないという考え方に立つとしても、敵に捕獲された戦闘員を「人道を以て(之を取扱ふ)へきは国際の通義」であり「勝手気儘に処分するなとの乱暴は許され」ない。技術的に許容される最低限度としても「任意の手続と方法」=軍律裁判が必要だということになる。
 南京事件では、軍律裁判さえ開かずに便衣兵を殺害したことを考えると、日本軍の不法性は明白だと言えるだろう。

追記

 信夫淳平による交戦法規違反の捕虜の身分を紹介したが、同じ問題を論じている学説があるので紹介したい。

水原進

又、解釈によりては敵機搭乗員は其の違反行為の理由に依り捕獲されたる場合、戦時犯罪人にして俘虜に非ず。従つて之に俘虜待遇條約の適用は不必要なりとの理論ありとするも、之は明に誤りなり。敵機搭乗員は、捕獲されたる場合、其の行為の如何に拘らず、一応は俘虜としての待遇を与へられる可く、其の後の審理に依り、戦時犯罪なりと断定せられたる時始めて俘虜たるの身分を失ふものである。従つて第六十條以下の適用は当然である。

昭和二十年十二月 敵航空機搭乗員処罰に関する軍律に対する国際法的検討 俘虜関係調査部

 この見解によるならば、交戦法規違反行為を犯した兵士は、その行為に関わらず暫定的に捕虜の待遇を与えられるとし、その後、裁判(1929年ジュネーブ捕虜条約第60条以下)により交戦法規違反を確定して初めて、捕虜の身分を失うという。

森田桂子

森田桂子「タリバンの「不法戦闘員」としての地位──破綻国家との国際武力紛争」
 文民を装い間諜行為やサボタージュを行った正規兵が敵に捕えられた場合、その者には捕虜資格を認められないという結論で国家実行(30)は一致しており、学説もこれを支持している(31)。米国連邦最高裁判所のキリン事件(32)のほか、日露戦争中にロシアに捕えられ処刑された横川省三および沖禎介の2 名の例(33)は、その代表例である。なお、こうして捕虜資格を否定された不法戦闘員は、一般予防の観点(34)から敵国により処刑(通常、死刑である。)されるのが常であるが、裁判所の審理を経ないで行う略式処刑は、戦争犯罪に該当する(1946 年ウェルナー・ローデ事件判決)(35)。

『防衛研究所紀要』第10巻第3号(2008年3月)pp.58-59

 ここで言う「サボタージュ」とは、労働運動行為としての「怠業」ではなく、私服の人間による敵軍に対する破壊活動を意味する(※1)。
 森田の見解によれば、文民を装いスパイや破壊活動を行った正規兵は、捕虜資格を認められないという。
 後段で書いている内容は、信夫の「任意の手続と方法にて之を処分するを得」と一致する。つまり、軍律審判により処罰することが、最低限度として求められているということになる。

※1「変装を爲せる軍人又は私人が、敵軍の作戰地帯又は其他敵國の権力を行ふ地帯に侵入し、鉄道、電信、橋梁、兵器製造所等を破壊せんとする」行為(立『戦時国際法論』)

参考資料

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