佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判04 捕虜殺害論 オッペンハイム所論について

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判 戦時国際法
佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判
佐藤和男「南京事件と戦時国際法」批判 総目次
1.はじめに
2.戦数論
3.便衣兵殺害論
4.捕虜殺害論 オッペンハイム所論について
5.捕虜殺害論 事例検討
6.まとめ
7.参考資料

捕虜殺害論


 その二は、戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断である。同じように戦闘中に捕えられながらも釈放された支那兵が多数いたことを見れば(前出『南京戦史』第五表を参照)、日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である。具体的な熾烈な戦闘状況を調べてみると(本稿では詳述する余地がない)、日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した場合のあったことが知られる。『オッペンハイム 国際法論』第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるべき戦時国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう。

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」『正論』2001年3月号、p.317

 佐藤氏は、捕虜殺害に関して「日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した場合」があったとし、さらにオッペンハイムの「多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよい」という所論を引いて、捕虜殺害の違法性を阻却できる主張する。

 そこで、以下の2点を論じることにする

  1. オッペンハイムの所論について
  2. 「日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した」のか

オッペンハイムの所論ついて 

『オッペンハイム 国際法論』第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるべき戦時国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう。

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」『正論』2001年3月号、p.317

 佐藤氏はオッペンハイムの投降者の助命拒否の条件について要約し引用しているが、国際法学者の田岡良一氏は著作で同じ部分を訳出している。

投降者の助命は、次の場合に拒否しても差支えない、第一は、白旗を揚げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において(in case of imperative necessity)すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危くされる場合においてである

田岡良一『国際法 3 新版 (法律学全集 57)』(有斐閣、1973年)p.347

 佐藤氏が典拠としたオッペンハイム『国際法』は第三版1921年とのことだが、ここにおける捕虜の助命拒否について「同書第四版以降の改訂者は、同規則の存続は「信じられない」との意見を表明している。」という説明を佐藤氏は付している。

 ちなみに、オッペンハイムの前記著作第三板(一九二一年)は、「敵兵を捕獲した軍隊の安全が、捕虜の継続的存在により、死活的な重大危険にさらされる場合には、捕虜の助命を拒否できるとの規則がある」と主張している。同書第四版以降の改訂者は、同規則の存続は「信じられない」との意見を表明している。

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」『正論』2001年3月号、p.315

 しかし、この説明では要領を得ないので、田岡氏の説明を見てみたい。

但しオッペンハイムの死後の版(第四版)の校訂者マックネーアは、第三の緊急必要の場合云々を削り去り、その後の版もこれに倣っている。恐らく校訂者は、この一句が戦数についてオッペンハイムの論ずるところと両立しないと認めたからであろう。

田岡良一『国際法 3 新版 (法律学全集 57)』(有斐閣、1973年)p.347

 オッペンハイムは『国際法』の中で戦数に対して否定論を述べている。一方で、オッペンハイムの捕虜の助命拒否の論述の中にある「緊急必要」は、部分的であるにせよ戦数を肯定する内容となっている。その整合性をはかる為に、のちの校訂者が「緊急必要」の箇所を削除したというのが田岡氏の見方である。田岡氏の説明にあるように、同文章は第四版で削除され、それ以降の校訂者もそれに倣っている。
 捕虜を「緊急必要」により助命拒否できるというオッペンハイムの主張は、佐藤氏が主張するように「同書第四版以降の校訂者」が「信じられない」と意見を表明しただけではなく、実際にはその第四版(1926年)以降は削除され続けたことが分かる。そしてその理由は、オッペンハイムの戦数に関する見解と「両立しないと認めた」からだという。還元するならば、「緊急必要」を捕虜の助命拒否の理由とすることが否定されたということだ。

 この様に、オッペンハイム『国際法』第四版(1926年)以降には削除された記述であるにも関わらず、その点に関して説明を省いた上で佐藤氏は次の様に主張する。

『オッペンハイム 国際法論』第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるべき戦時国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう。

佐藤和男「南京事件と戦時国際法」『正論』2001年3月号、p.317

 ここで佐藤氏が言う通り、オッペンハイム『国際法』第三版(1921年)では、捕虜の助命拒否の理由として「緊急必要」が記載されているのだから、第三版(1921年)までは、緊急必要により捕虜の助命拒否すると「断言」したと言えるのだろう。しかし、その5年後に出版された第四版(1926年)以降では「緊急必要」は削除され、否定され続けている。にも関わらず、南京事件が起きた1937年時点においても、オッペンハイム『国際法』で「緊急必要」による捕虜の助命拒否があたかも支持されているかのような記述をするのは問題であろう。

 もちろん、第四版(1926年)以降で「緊急必要」の記述が削除されたからと言って、それで即、「その当時の戦時国際法の状況」として戦数が否定されていることにはならないが、佐藤氏自身でさえ「永きにわたり戦時国際法の専門的な解説書として高く評価されてきた」と評したオッペンハイムの同書において、「緊急必要」や戦数論が否定されていたことを説明しなければ事実に反する。佐藤氏が戦数を肯定する立場に立つのは分かるが、佐藤氏の所論を見ても、戦数否定論に触れることはほとんどなく、あまつさえ上記のように本来すべき説明さえも省くような態度は、「国家間に紛議を惹起している問題を解明する」態度としては適当ではないだろう。

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