④篆塘

[1]建物が数棟確認できる。当時、中国の民家で見られた中庭のある長屋形式の建物だろうか。
[2]小さい建物が確認できる。地図をからするとこの場所の南側にも数棟の建物があり、賈家橋という地名が書かれている。[1]と合せて、賈家橋の村落の北端と言える。
[3]地図上ではここから南側にかけて篆塘という村落があるが、航空写真からは外れている。篆塘のさらに南に五北という地名の部落がある。洞富雄氏・和多田進氏が「幕府山の捕虜処刑に関する「新説」批判――さようなら板倉氏」『南京大虐殺の研究』で捕虜収容所の位置と主張した五百村は、おそらくこの地図でいう篆塘から五北にかけての位置となると思われる。いずれにしても航空写真での確認が出来ないのが残念である。
洞・和多田説は下図を参照のこと。
▼洞・和多田説を下図に表記した。上記2図の想定位置がずれているように見えるため、位置を絞り込むことが出来なかった。






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