幕府山砲台航空写真の検証[09]まとめ

幕府山砲台航空写真の検証ic 第13師団
幕府山砲台航空写真の検証ic
幕府山砲台航空写真の検証 総目次
1.はじめに
2.検証素材
3.①上元門
4.②上元門―上元門崗道路
5.③上元門崗
6.④篆塘
7.⑤蔡家窪
8.⑥雷庫
9.まとめ
10.参考資料

まとめ 

 以上、『揚子江沿岸占領要塞兵備整理写真帖』に掲載されている幕府山の航空写真から、捕虜収容所の位置の特定を試みてみた。残念ながら、残された資料と完全に一致する場所を特定することは出来なかったが、それでもいくつか判断できたことはある。

  1. 航空写真①上元門の幕府山砲台「守備隊営」や「弾薬庫」は建物の規模としては収容所に適しているように見えるが、日記・証言・スケッチなどの資料と異なる点が多い。
  2. 航空写真②上元門―上元門崗では、阿部輝郎氏が収容所の位置だと主張した場所が撮影されているが、その位置には建物自体が存在していない。
  3. 航空写真③上元門崗は板倉氏が収容所の位置だと主張した場所だが、ここには大きな規模の建物は3つ程確認できるが「廠舎」(=兵舎)の類の建物はなかったようだ。
  4. 航空写真⑥雷庫は大規模な軍事施設で、学校と言えるような施設も確認できる。この軍事施設に関しては幸いなことに、別途、角度のついた写真もあり地物の様子が詳細に確認できる。山田日記の「学校」とは一致するが、栗原スケッチ、両角手記に描かれる「十数棟併列し」という建物の形状とは一致しない。

 捕虜殺害や捕虜収容所の位置特定について、本多勝一・洞富雄・和多田進vs板倉由明論争や阿部輝郎氏の検証において議論となっていた。今回の検証で、捕虜収容所の位置特定における板倉説、阿部説は否定される結果となった。本多・洞・和多田説については、航空写真の範囲外に位置するため検証は出来なかった。
 また、これは感想の域を出ないが、建物規模、学校に近い設備の点から考えて、航空写真⑥雷庫周辺の施設が捕虜収容所だったのではないかと思う。

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