南京戦では南京城南方より進攻し、中華門正面および西側地域の攻撃を担当し、城内・城外の掃討戦に参加した。
師団長 谷寿夫は戦後、南京軍事法廷で南京事件を審理され、有罪となり、死刑に処された。
歩45 捕虜の行方⑦ 参考文献
「歩45 捕虜の行方」の参考文献
歩45 捕虜の行方⑥ まとめ
南京戦における歩兵第45連隊の捕虜の処置について検証したまとめ。
歩45 捕虜の行方⑤ 論点の検証 捕虜の殺害
歩兵第45連隊の軍公式記録では5500名の中国兵を捕虜とした書かれており、戦後の証言・手記等ではこれらの捕虜はすべて解放したと述べられている。しかし、実際に資料を検討してみると、捕獲された後に殺害された中国兵も多数存在したことが分かる。
歩45 捕虜の行方④ 論点の検証 捕虜の解放
『南京戦史』では、歩兵第45連隊は下関で捕獲した捕虜5500名をその場で解放したと言われている。しかし、この立論には自身で認めている「一次史料」を無視したもので不適当なものである。資料を幅ひろく検討する。
歩45 捕虜の行方③ 論点の検証 捕虜の数
南京戦における歩兵第45が捕獲したと言われる捕虜数「5500名」を検討する。
歩45 捕虜の行方② 戦闘の経過
1937年12月の南京戦における歩兵第45連隊の戦闘経過。
歩45 捕虜の行方① はじめに
南京戦における第6師団歩兵第45連隊の捕虜について考察する。