配属部隊の確定
ここまで山田支隊の兵力推計として、歩兵第65連隊、山砲兵第19連隊第3大隊、騎兵第17大隊を対象として考察してきたが、山田支隊にはこれらの部隊以外にもいくつか部隊が配属されていることが知られている。推計で示した主要3部隊以外の詳細が不明瞭だったため、本項で言及することは控えていたが、その詳細が確認できたので追加として検討したい。
山田支隊に配属された部隊の詳細を示した資料は以下の通りとなる。

上掲の資料は、アジア歴史資料センターの「第13師団作戦経過一覧図戦闘詳報」というファイルに所収されているものを復元した画像である(四分割ファイル、9コマ~12コマ)。文書のタイトルは「第十三師団作戦経過一覧図/(其二)(十二月七日ヨリ十二月二十日ニ至ル)」で、図山要塞攻略(歩58)からジョ〔サンズイ+除〕県警備に至る行動経過を略図化した内容だ。地図中、赤枠で囲った部分は(赤枠はK-K記)山田支隊の行動で、支隊編成から下関・浦口間渡河に至るまで描かれている。
図中赤枠の中央部分に「支隊」の編成部隊として「103ib(-104i) / 17K / Ⅲ/19BA / 2/13P / DLT1分 / S 1/3 / 3FL 」と書かれている。これら数字・アルファベットは、軍隊符号と呼ばれるもので、その意味は次のようになる。
- 103ib(-104i)=歩兵第103旅団(歩兵第104連隊を除く)
- 17K=騎兵第17大隊
- Ⅲ/19BA=山砲兵第19連隊第3大隊
- 2/13P=工兵第13連隊第2中隊
- DLT1分=無線電信隊1分隊
- S 1/3=衛生隊の1/3
- 3FL=第3野戦病院
以上の支隊配属部隊のうち衛生隊と野戦病院は戦闘部隊ではなく、その人数の把握もできないので、本項では検証しない。最初の3部隊は既に検証済みである。残るは工兵第13連隊第2中隊と無線電信隊1分隊となる。
工兵第13連隊第2中隊
工兵第13連隊に関しては、小林有義『工兵第十三聯隊の歴史』(同聯隊の歴史刊行会 1979年)に詳細な記述が残されている
編制時(1937年9月20日)の編制表によれば(同書p.141)、連隊は連隊本部、第1中隊、第2中隊、器材小隊で編成されており、人員は将校17名、下士官60名、兵683名、合計760名となっている。この中で第2中隊の人員は、将校5名、下士官22名、兵254名、合計281名である。

11月12日付第2中隊編成表(隊員名簿)によると兵力数は267名となっている(同書p.204)。以降、山田支隊編成までの期間で第2中隊の兵力数を示す記述はない為、この数字を基点に検討を進める。

第2中隊の11月12日~12月12日(山田支隊編成時)における戦死者数は8名(指揮班1名、第1小隊5名、第3小隊2名、同書pp.920-940「付録第一 戦没者名簿」)、この間の補充は12月6日第三次補充24名だった(同書p.234)。以上の情報を総合すると、山田支隊編成時点の第2中隊の兵力数は、267名(11月12日)+24名(補充)-8名(戦死)=283名となる。

山田支隊が編成された際、工兵第13連隊第2中隊の4つの小隊のうちの第2小隊は歩兵第58連隊第2大隊に配属されていた為、この時の第2中隊は第2小隊を欠く体制だった。したがって山田支隊編成時(12月12日)の第2中隊(主力)の兵力数を知るためには、第2小隊の兵力数を割り出し、第2中隊(全体)の兵力数から第2小隊の兵力数を引いて求めることになる。
※この時の第2小隊の行動概要については右記事を参照
第2小隊の兵力は、11月12日時点で61名、それ以降、山田支隊編成時(12月12日)までに戦死者はなかった(同書pp.920-940「付録第一 戦没者名簿」)。不明確なのは12月6日第3次補充の割り当てである。24名の補充兵のうち、第2小隊へ何名の補充があったかの資料がない。そこで補充兵24名を、第2中隊の指揮班・小行李および第1小隊~第4小隊の五つの部隊に均等に配分されたと仮定すると、1小隊あたり5名の割り当てとなる。以上をまとめると山田支隊編成時の第2小隊の人員数は、11月12日61名に補充5名がプラスされ、合計66名となる。
先に算出した第2中隊の人員数283名から、歩58Ⅱへ配属された第2小隊66名を引くと、山田支隊編成時点での工兵第13連隊第2中隊(欠第2小隊)の人員数は217名となる。
無線電信隊1分隊
第13師団に所属している無線電信隊(通信隊)について、直接言及のある資料は見つからなかった。そこで一般的な無線電信隊の兵力数を検証し、山田支隊配属の無線電信隊1分隊の兵力数とする。
陸軍動員計画令における通信隊の編成表を見てみよう。

上掲の編成表によれば、通信隊の人員数の合計は289名となっている。「備考」欄には、「(一)通信隊ハ之ヲ有線三小隊、無線一小隊ニ区分シ有線小隊ハ之ヲ三分隊ニ、無線小隊ハ之ヲ七分隊ニ区分ス」と書かれており、通信隊の編成内容が分かる。
次に実際の事例を見てみたい。

上掲の編成表は、第101師団通信隊の動員時(1937年9月10日)のものである。第101師団の動員の経緯は第13師団と同じで、上海戦線の膠着による増派が目的だった。時期、経緯ともに同一である第101師団の編成は第13師団の編成を知る上では最適と言ってもよいだろう。
本表の「備考」欄には「一、第一第二第三小隊ハ有線第四小隊ハ無線トス」と書かれており、表中の「第四小隊」が無線小隊ということが分かる。その無線小隊には7分隊が配置されており、それぞれの分隊に8名~9名の隊員が配属されている。部隊の配置状況は動員計画令の編成表と一致する。
以上の資料から推測するに、第13師団通信隊と第101師団通信隊が同じ編成だったとすれば、無線電信隊1分隊の兵力数は8名~9名となる。不明なのは山田支隊編制時までの補充と損失だが、無線部隊なので前線に立つようなことは少ないと考えられ、兵力数に大きな変動があったとは考えにくい。山田支隊に配属された無線電信隊1分隊は8名と判断する。
まとめ
ここまでに明らかになった山田支隊各部隊の兵力数は以下の通りだった
- 歩兵第65連隊 2052名~2859名
- 山砲兵第19連隊第3大隊 827名~906名
- 騎兵第17大隊 400名
この兵力数に加え、本項で明らかになった数字は以下の通りとなる。
- 工兵第13連隊第2中隊(欠第1小隊) 217名
- 無線電信隊1分隊 8名
これらを合計した山田支隊の兵力数は3504名~4390名となる。
参考文献
- 『工兵第十三聯隊の歴史』小林有義 工兵第十三聯隊の歴史刊行会 1979年 国会図書館所蔵
- 「昭和12年度陸軍動員計画令同細則の件(原本付属)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01007658600、昭和12年 「陸機密大日記 第2冊 1/3」(防衛省防衛研究所)
- 「陣中日誌 自昭和12年9月1日至昭和12年9月30日 第101師団通信隊」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11112137400、第101師団通信隊 陣中日誌 昭和12年9月1日~12月31日(防衛省防衛研究所)
- 「第13師団作戦経過一覧図戦闘詳報」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123333900、陸支密大日記 第38号 昭和16年(防衛省防衛研究所)


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