まとめ
自衛発砲説では、捕虜を長江岸へ連行し、船で八卦洲へ搬送し解放するという計画だったと言われているが、その計画における船の用意について本稿で検証してきた。
捕虜を連行した江岸には船がなかったという資料もあったが、実際には船が江岸に用意されており、船数は最大で10隻、1隻当たりの搭乗数は30名程度と結論づけた。このうち、船数については最大10隻としたものの、実際にはこれよりかなり少ない数だと考えるべきだ。
実際に集められた船を見た者は、「とても足りる数ではない」(田山少佐)、「わずかな舟でこれだけの人数を運ぶというのは、はじめから不可能だったかもしれません」(平林少尉)という感想を抱いており、輸送能力が不足していたことを覗わせる。
また、集めた船のすべてに捕虜を搭乗させることはできない。なぜなら、指示や警備にあたるため日本兵も船に乗る必要があるからだ。しかし、危険性が高いので捕虜と同乗することはできず、最低でも2隻程度は日本兵専用の船が必要だっただろう。そう考えると、この作戦での輸送能力というのは非常に限定的だったと考えざるを得ない。
「船の用意」は、捕虜殺害に直接的に関係する事象ではない。しかし、船が自衛発砲説には不可欠な存在であり、十分な船の用意がないということは、捕虜を船で搬送して解放するという自衛発砲説の根幹を揺るがす問題と考えられる。そういう意味で、本稿の結論は幕府山事件の議論に一定の方向性を与えるものと考えている。

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