はじめに

幕府山事件とは、山田支隊が幕府山砲台付近で投降してきた中国兵を捕虜とし、臨時の捕虜収容所へ収容した後、長江岸へ連行して殺害した事件で、南京事件における日本軍の捕虜殺害では最大規模の事件とも言われている。
この事件の議論では大きく分けると二つの見解がある。一つは自衛発砲説と呼ばれており、もう一つは呼称は無いようなので仮に捕虜殺害説としておこう。
自衛発砲説とは、軍上層部より捕虜殺害の命令を受けた山田支隊が、その命令に反して捕虜を解放するため長江岸へ連行したが、途中で暴動が発生し、自衛の為に発砲し、やむなく捕虜を殺害したとする見解である。
一方、便宜的に捕虜殺害説と名付けたもう一つの見解は、山田支隊は軍上層部より捕虜殺害命令を受け、捕虜殺害作戦を実行、途中で捕虜暴動のハプニングがあり自軍の将兵に損害を出したものの、作戦を完遂したとする見解である。
これらの見解で主要な争点の一つは捕虜を長江岸へ連行した目的であり、その目的を自衛発砲説は解放とするが、捕虜殺害説は殺害とする。
本稿で論じる船の用意とは、一部の資料によると、捕虜を連行した長江岸にはあらかじめ船が用意されていたといい、自衛発砲説ではこの船で中洲=八卦洲へ捕虜を移送し解放する作戦だったとする。つまり自衛発砲説では、船の用意は作戦を遂行する上で重要な設備だったと言える。
ところがこの船の用意に関しては、搭乗させるべき捕虜数に対し、用意できた船が足りなかったという証言がある。船の用意如何では作戦の実現性を左右する問題とも言える。
そこで、殺害現場に用意された船がどの程度の隻数・大きさだったのかを、資料から検証してみたいと思う。
| 01 はじめに | [次ページ]02 先行研究 |

コメント