【幕府山事件】船の用意[04]実態の検証

【幕府山事件】船の用意 第13師団
【幕府山事件】船の用意
【幕府山事件】船の用意 総目次
1. はじめに
2. 先行研究
3. 資料
4. 実態の検証
5. 南京付近の船の存在
6. まとめ
7. 参考史料

実態の検証

船の存在

 17日大湾子で、江岸に船が用意されていたか否かという問題に関しては、平林少尉、鈴木氏は「舟が来ない」と述べているものの、他の資料では船が存在していたことが述べられていた。一次性の高い資料である栗原スケッチにも船は描かれており、江岸に船が存在していたことは事実と判断できる。

船数

 船数については資料間に大きなバラつき見られ、栗原伍長と唐氏は「二隻」「二~三隻」を目撃したと述べるが、箭内准尉は「十隻前後」「六隻か七隻」を集めたといい、田山少佐は「七隻か八隻」を集めたという。最小値は2隻、最大値は10隻となる。ただし、最小値を述べている栗原と唐氏は、用意された船の実情を知る立場になく、また河の状況を見渡せるような位置にいたとは限らないので、彼らの目撃した範囲で2隻程度であり、目撃できなかった船の存在があった可能性は否定できない。10隻前後とする箭内の証言は他所で6~7隻と述べており、証言の内容にブレが見れら信憑性に欠ける。
 最大10隻の可能性はあるとはいえ、実際にはこれより幾分か少ない数と見るべきだろう。

舟の大きさ

 船の大きさについては、山田少将は「大きい舟」だった、「揚子江には、小さな舟はない」と述べ、角田少尉「小船」、栗原伍長「小型の船」となっている。このうち山田の「揚子江には、小さな舟はない」という発言は現実性の乏しい。連行場所となった大湾子は砂洲だったと言われており(※)、大きな船舶での乗降には向かない場所である。

※鈕先銘『還俗記』
 永清寺の下流一~二キロの沿岸に“大湾子”と呼ぶ場所がある。ここは非常に浅い砂洲である。流れが白鷺洲で二つに分かれているので、長江の本流は八掛洲の北側を流れており、中洲の南側を通る流れは、流れが緩慢で、そこに浅い砂洲を形成してい

 一方、両角大佐は次のように述べている。

両角業作手記
 軽舟艇に二、三百人の俘虜を乗せて、長江の中流まで行ったところ、前岸に警備しておった支那兵が、日本軍の渡河攻撃とばかりに発砲したので、舟の舵を預かる支那の土民、キモをつぶして江上を右往左往、次第に押し流されるという状況。

『南京戦史資料集Ⅱ』pp.339-341

 船の大きさに関して直接的な言及はないが、一回目に捕虜を船に乗せた数が200名~300名という。仮にこの証言が正しいものとし、集めた舟の数が10隻だったと仮定すると、1隻あたり20名~30名は搭載可能だったことになる。

 南京事件当時の様子を撮影した村瀬守保氏の写真の中に船を写したものがある。仮に集めることが出来たとしても、この程度の大きさの船だったのではないだろうか。であるならば、1隻当たりの搭乗数は30名程度と考えるのは妥当だろう。

写真集南京大虐殺p76
写真集南京大虐殺p76 村瀬守保撮影
写真集南京大虐殺p78a
写真集南京大虐殺p78a 村瀬守保撮影
写真集南京大虐殺p78b
写真集南京大虐殺p78b 村瀬守保撮影
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