まとめ
最後にまとめとして、先行研究で紹介した洞氏・阿部氏・南京戦史の各説を紹介した地図(首都附近軍用図)に、今回の検証結果を合わせてみたい。

本図が掲載されている洞・和多田論文にはスケールが掲載されていないので、南京附近一万分一地形図より上元門から観音門の距離を測定し、その距離に基づいて各距離を算出した。したがって、若干の誤差は了承して戴きたい。
検証結果としては、鈕先銘手記に基づき永清寺の下流1km~2kmの江岸の位置を大湾子と判断している。洞説と南京戦史説の中間に位置する。ただし、南京附近一万分一地形図での検証では、大湾子の位置は、八卦洲への渡船航路が描かれている位置を北端としていた。この観点からすると南京戦史説に近い位置だった可能性もある。
今回の地図を用いた大湾子の場所の探索は、地図の精度に大きく左右される内容であり、詳細に検討すると、それぞれの地図で示す場所がかなり変化することが分る。
洞氏の説明では、鈕先銘手記と共に、地図で描かれた地形や道路の流れなどを考慮していた。これもまた一つの手法とは思われるが、いくつもの地図を比較すると、地図ごとに地形や道路・水路の形が変化しており、一つの地図の地形を過信することには疑問がある。そういう意味では、最後に指摘した渡船航路は一つの指標となるかもしれない。ただし、いずれにせよ確定位置を示すには未だ情報が足りていないのが現状だろう。
| 04 検証[前ページ] | 05 まとめ | [次ページ]06 参考文献 |

コメント