はじめに

幕府山事件では、12月16日と17日の二日にわたって捕虜連行と銃撃が行われた。連行先はいずれも長江の江岸で、16日は水魚雷営、17日は大湾子である。
水魚雷営は中華民国海軍の施設で、光緒18年(1892年)に創建、宣統3年(1911年)に魚雷営と改称、民国18年(1929年)に海軍水魚雷営と再度改称された(※1)。水魚雷営は古くからある公認の施設で当時の地図にも描かれることが多く、位置を特定することは容易である。
一方、大湾子という地名はほとんど使用例が見られない。この地名を使っているのは鈕先銘『還俗記』だけで、そのほかでは、唐広普証言(※2)における「大窩子」が大湾子を意味しているようだ。推察するに、大湾子という地名は地域住民が使用していたローカルな地名だったので、地図などに載ることがなかったのではないだろうか。
いずれにせよ、大湾子という地名やおおよその場所は日記や証言等で割り出すことが出来るものの、詳細な位置について見解が分かれている。そこで本稿では、当時の地図と史料から大湾子の位置を探してみたいと思う。
※1 『海軍部成立四週年紀念特刊』中華民国海軍部編刊 1933年
※2 唐広普証言(同書では唐府普と記載)『南京の氷雨』 p.156-158
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