埋葬隊

埋葬隊 埋葬隊

1937年12月13日、中華民国首都 南京市が日本軍によって占領された。戦闘では軍人・民間人双方に多くの死者が出た。日本軍の軍人の死体は、日本軍が荼毘に付して遺骨を日本に送還したが、中国軍人・民間人の死体は、日本軍が戦場掃除(陣中要務令第10篇に指定)で若干を処理したほかは放置された。

放置された死体は、陥落直後から民間の慈善団体が中心となり埋葬を行った。南京に残留したドイツ人ジョン・ラーベの日記によれば、埋葬作業は当初、日本軍によって妨害されていたようだが、その後、日本軍も埋葬作業を支援するようになった。埋葬を行った主な慈善団体としては、紅卍字会、崇善堂、紅十字会、自治委員会救済課などがある。

戦後、これらの慈善団体のうち紅卍字会と崇善堂の埋葬表が極東国際軍事裁判所(東京裁判)に提出され、南京事件の規模を示す証拠とされた。

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紅卍字会の埋葬経費について 

南京戦終了後に残された死体を処理したのは慈善団体等からなる埋葬団体だった。この埋葬団体の一つである紅卍字会埋葬隊は、日本軍特務機関の指導を受けていたことは知られている。通説では、その紅卍字会の埋葬経費を特務機関が負担していたと言われるが…。