【幕府山事件】捕虜数の推移[02]検証のポイント

【幕府山事件】捕虜数の推移 総目次
1. はじめに
2. 検証のポイント
3. 先行研究の紹介
4.Ⓐ投降者捕獲数
5.Ⓑ非戦闘員の解放
6.Ⓒ収容所火災による捕虜逃亡
7.Ⓓ捕虜殺害数
8. まとめ
9.参考資料

検証のポイント

 幕府山事件における捕虜数は、次に挙げるポイントで人数に大きな変化が見られるとも言われる。

Ⓐ投降者捕獲数

 幕府山およびその周辺で山田支隊が捕獲した投降者の数で、捕虜数の起点となる。先に示した両角手記では1万5300名とするが、朝日新聞の記事(※1)や山田栴二少将の日記(※2)では1万4777名とする。研究者によっては、これらの数字より遥かに少なかったと主張する者、もしくは大きく上振れすると主張する者がいる。

Ⓑ非戦闘員の解放

 Ⓐにおける投降者には非戦闘員が多く混在していたため、非戦闘員を選り分けて解放し、結果、捕虜数は概ね半減(残数8000名)したという。研究者によって、この非戦闘員解放による捕虜数の半減を事実とする見解と否定する見解に分かれる。

Ⓒ収容所火災時の捕虜逃亡

 12月16日正午頃に捕虜収容所で火災が発生した。両角手記ではこの火災発生の混乱により捕虜が逃亡し、その結果、捕虜数が再度半減したという。研究者によって、収容所火災時の逃亡による捕虜半減を事実と認める見解と否定する見解に分かれる。

Ⓓ捕虜殺害数

 捕虜収容所の火災が発生した後、捕虜は長江岸へ連行され殺害される。この捕虜殺害は両角手記では12月17日の1日で行われたことになっており、当初の研究でもそう解釈されるのが一般的だったが、後に資料が発見されるにつれて、12月16日と17日の二日間に渡って行われたとする見解が一般的になった。

 本稿では、以上の4点のポイントに着目しつつ検証を進めたい。

※1 『東京朝日新聞』1937年12月17日朝刊
※2 『南京戦史資料集Ⅱ』p.331

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