◆ 栗原利一証言 ◆
福永平和「記者の目」

 
◎栗原利一伍長 第65連隊第1大隊所属

◎スケッチ

スケッチ 1
スケッチ 2
スケッチ 3
スケッチ 4

 
福永平和「記者の目」
※この記事は核心さんより提供して頂きました。

以下は昭和59年9月27日の毎日新聞に掲載された福永平和氏による「記者の目」のコラム記事です。

歴史の発掘報道に思う
勇気ある当事者発言
匿名の中傷、卑劣だ
反論、堂々と姿現して

 記者にとって読者からの反響は大変に気になるものだ。新聞社内でも、あれはこうだ、いやちがう、などと言い合うことがあるが、読者からとなると思いもよらぬ視点を開かれることがあるからだ。時に痛いところを問答無用式にばっさりと切られ、歯がみすることもあるが、半面、一方的に中傷、誤解されることもある。そして困るのは、こういう人たちは多く匿名であることだ。しかも、いわれなく取材先の人たちまで巻き込まれるとなると、記者としていたたまれない。今回、この「記者の目」でとりあげたのは、そのケースで、取材した記者としては、見過ごすべきでないと思い、ペンをとった。読者のみなさんと共に考えてみたいと思う。

 発端は八月の末。社会部の電話が鳴った。電話の主は八月七日日付朝刊二社面(東京本社発行最終版、以下本紙掲載日は同)で掲載した「元陸軍伍長、スケッチで証言 南京捕虜一万余人虐殺」の記事で取材し、紙面にも名前の載った東京小平市の退職警察官(73)だった。
 だが、電話の向こうの声は最初からひどく震えていた。
 「まったくひどい。何とかしてもらえないだろうか。」
記事に載った証言は、鈴木明氏の「南京大虐殺のまぼろし」や防衛庁防衛研修所戦史室の「支那事変陸軍作戦<1>」などの「釈放途中に起きた捕虜の暴動に対する自衛的集団射殺」という定説を覆すものだった。
 電話の主は、この記事が出て以来、次々と「読者」からの封書、はがきが届いたが、これらの多くは中傷で、脅迫まがいのものもあるという。証言者の自宅へ出向いた。
 「恥知らずめ、おぼえておけ。軍人恩給と警察官の恩給を返して死ね」「貴様は日本人のクズだ!!」「思慮の浅い目立ちたがり屋か老人ボケ」
 思いつく限りの悪罵(ば)を投げつけていた。
 もちろん、証言者を勇気づける手紙も何通かあった。
「事実を述べられたこと(教えて下さったこと)の勇気をすばらしいと思います」(三十六歳の主婦)。勇気ある証言は次の証言につながっていく。八月十五日付朝刊の「南京大虐殺、私も加わった」という神戸市の元上等兵(75)の証言である。そしてこの第二の証言者のところへも「お前はバカか、平和を乱すようなことはするな」という手紙や電話がきていた。
 こういった非難、中傷、脅迫の手紙は、新聞社にもよく来る。八月十五、十六日付朝刊の七三一部隊関連記事でも「資料はデッチ上げ」という投書があった。共通しているのは匿名ということ。

「子孫にウソを伝えぬために」

 元警察官が証言を思い立ったきっかけは、七月二十二日付朝刊社会面の「南京大虐殺、中国側が”立証”犠牲者は三十余万人」の記事。
「殺したのは殺した。それは事実だけれど、三十万人、四十万人なんて数じゃない。どんなに多くても十万人以下だ。中国側の根拠や資料をうのみにするわけにはいかない。事実をはっきりさせるのは、日本の側も、やったことははっきり認めなきゃいけない。いつまでも”殺してない”とか”自衛のためだ”なんて言ってるのはおかしい。ウソを子孫に伝えるわけにはいかない。あれにかかわったものは、私も含め、もう年だ。今のうちに本当のことを言っておかねば」
 戦後三十九年。戦無世代はもうすぐ人口の60%になろうとしている。かくいう私も戦後生まれである。空襲も含め一切の戦争体験のない世代にとって、戦争とは活字や写真で見るしかないものである。その活字の輪郭がぼやけていたのでは、戦争そのものの実像がつかめなくなる。南京虐殺も、組織的な大量虐殺があったかどうか、論が分かれている。中国側の主張する三、四十万人という数字は、虐殺があったとする学者の中にも疑問視する人がいる。
 一昨年の教科書検定問題以後、中国では日中関係を考慮しながらも、日本軍の侵略の実像を再調査、生存者の聞き取り、資料の収集をして「まとめ」を進めている。七月二十二日付の記事で紹介した中国人民政治協商会議南京市委員会文資料研究会編の「資料選■(不明文字)」、侵華日軍南京大屠殺資料選■(不明文字)」もその一つだ。昨年八月の発行である。同年六月には南京大学歴史系日本小組編の「南京大屠殺」を収めた「江蘇文資料選■(不明文字)、第十二■(不明文字)」も出版されている。さらに昨年五月には、新華出版社の「日本侵華図片史料集」という写真集も発売された。
日本軍による侵略の歴史のまとめ作業は中国だけではない。シンガポールの華字紙「■(不明文字)合早報」の七月九日付によると、日本研究者の蔡史君さんが編集した「新馬華人抗日史料」が十月に出版されるという。千百ページ、八百枚の写真を使った膨大な史料で、シンガポール占領直後の華人大虐殺も史料や生存者の証言で裏付けされている。
 匿名の手紙の中には「日中友好の障害になる」という非難もあった。しかし、七月二十二日付の記事は数日して中国の中、下級幹部用内部新聞「参考消息」に載り、元警察官の証言はその日のうちに、新華社が詳しく伝えた。
 日中友好二十一世紀委員会の開催など、明日の日中友好に向けた動きが活発な中でも、中国は半世紀も前のことに強い関心を示している。
 「日本侵華図片史料集」の編集後記は、その出版意図をこう書いている。

日中友好維持と”逆流”への警戒
 「我が国の戦後生まれの世代は、自ら日本帝国主義の侵略戦争の苦難を経験しておらず、日本帝国主義の罪行を目のあたりにしていない。彼らは日本経済が復興した戦後の情景を知っているだけである。日本帝国主義の中国侵略の歴史を学び、再度復習し、中日関係の新しい発展段階において、中日両国の友好協力関係の維持発展に力を尽くさねばならず、同時に日本軍国主義を復活させようとする逆流を警戒し、批判しなければならない」

 この中国側の意図をどう受け止めるかは、さまざまだろうが、当事者でもある日本側は少なくとも事実をはっきりさせる努力が必要である。
 その意味で、歴史の底に埋もれてしまいかねない「証言」は貴重だ。証言しやすい環境を作る周りの努力こそ大切で、これを妨げたり、戦後四十年近く、やっと明らかになった証言や資料をつぶすようなことはすべきではない。反論があるなら、堂々と名乗って筋を立ててもらいたい。