第114師団 郷土部隊奮戦記(サンケイ新聞)

郷土部隊奮戦記

資料説明
190 弾雨の中を敵前渡橋 小銃逆手になぐり込む
191 集中攻撃で負傷続出 命を救った戦友の遺品
192 騎兵連隊の奇襲なる 敗走する敵に追いうち
194 トーチカを各個撃破 近づき銃眼から手榴弾
195 攻撃開始の信号弾 激闘二時間、楊山を抜く
196 一刈大隊長も負傷 占領した丘に敵が逆襲
197 「死ぬまであるく」 大隊長、日本刀杖に前進
198 南京城を開放せよ 空から投降勧告のビラ
199 進撃から攻撃体形に 水筒も捨て、総攻撃準備
200 勧告時限期し敵反撃 わが軍も総攻撃の火ブタ
201 南京城一番乗りへ 天城連隊、大任負い出撃
202 夜空に乱れ飛ぶ弾丸 一番乗りめざして出発
203 「中華門へ突入する」 山田大隊長の命くだる
204 第三国の権益まもれ 末松師団長が厳重指示
205 雨花台上に日章旗 野砲隊、南京城内を砲撃
206 待機の命令に悲涙 第一大隊千数百人を捕虜に
207 歩兵は城外で待機 中華門の砲撃はじまる
208 中華門楼上に連隊旗 戦友踏み台に城壁占拠
209 休養の時間もなし 杭州転進の作戦命令








































第114師団 目次


資料説明

  1. .この資料は、『サンケイ新聞栃木版』に掲載された「郷土部隊奮戦記」のうち、南京事件に関係する部分(昭和38年)を抽出したものである。
  2. 藤沢藤一郎氏の資料を中心に、参戦者の資料・証言をまとめて書かれている(郷土部隊奮戦記209)
  3. 所蔵は産経新聞宇都宮支局。

 

郷土部隊奮戦記 190/日華事変/ 南京攻撃 2
弾雨の中を敵前渡橋
小銃逆手になぐり込む


栗島利一郎さん
 漂水を出発した第百十四師団の先兵は、七日のひるごろ、早くも秣稜関に突入した。同地にいた敵は、たいした抵抗もせず南京寄りの高地に退却した。秣稜関近くに前線司令部をおいた末松師団長は、南京街道左を歩兵第百二連隊、右は同第百二十七旅団本部に同第百十五連隊第二大隊を配属、同第百二十八旅団と連係させ、同第六十六連隊は、師団司令部直轄部隊として同連隊第二大隊を、左翼から敵の第一線陣地のうしろに潜入させ、敗走する敵を側面から攻撃する作戦をたてた。   飛行機の偵察と将校斥候の報告で敵とのあいだに、幅五〇メートル、深さ二〜四メートルのクリークがあって、橋は破壊されている。敵の兵力は前線に移動していることがわかった。連隊本部は、第三大隊を指揮して、歩兵第百二連隊に接触、第一大隊は連隊本部の右で、秋山旅団司令部に接した。    第一大隊正面の橋が燃えている。工兵第百十四大隊の土屋中隊が消火作業をはじめたが、敵の集中射撃をうけてダメ。第四中隊(中隊長・手塚清)と第三中隊が橋の左右に出撃して、工兵隊の消火作業を援護した。敵は、工兵、第三、第四の各中隊に集中射撃を浴びせてきて身動きができない。幸い橋の火はまもなく消え、徒歩部隊なら渡ることができる。一刈大隊長は第四中隊に「強行渡橋のうえ、後続部隊の前進を援護すべし」と命じた。
手塚中隊長は、小宅小隊長(小宅伊三郎曹長・益子町生目田)に強行突破を命令するとともに中隊長は、橋の近くの土手に陣取っていた県(あがた)伍長のところにかけより、機関銃分隊を直接指揮して、小宅小隊を援護した。
小宅小隊長は、決死の部下九人を指揮して、敵の弾幕の弱まるのを待っている。第三中隊の川越小隊も突撃待機の姿勢をとった。機をみて小宅小隊長は九人の部下を指揮して半壊の橋の強行突破にかかった。渡橋隊の先頭は、栗島利一郎上等兵(佐野市植野)、つづいて小宅小隊長以下も敵の陣地にころがり込んだ。小銃をさか手に持って敵をなぐり倒しているのがよくみえる。光ってみえるのは小宅曹長の日本刀だろう。第三中隊の川越小隊も、すかさず橋を渡って敵陣地につつこんだ。
両小隊は、敵陣に飛び込んだものの占領した陣地は一部分にすぎない。敵は、日本軍の渡橋を妨害しながら両小隊の陣地へ肉薄してきた。両小隊は苦境に追い込まれた。
栗島利一郎さんの話 「小宅小隊長の命令でかけだした。無我夢中で橋を渡り、一番近くの陣地に飛び込んだ。腰だめで小銃をうち、タマをこめる暇がないので、小銃をさかさに持って敵をなぐり倒した。友軍が救援にきたときはホッとした」