<注意>
本資料は軍律に関する部分に限った抜粋となる。
目次における見出文は内容に合わせて付したものである。
可読性を高めるため、カタカナを平仮名へ、旧漢字を新漢字へ改めた部分があるので注意されたい。
第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌
昭和一二年一〇月一二日―昭和一二年二月二十三日
<二月三日 雪後霙 杭州>
<軍律違犯事件受理>
二、左記軍律違犯事件軍憲兵隊より捜査報告を受け法務局へ事件受理報告を為す
被告 住所 支那浙江省杭州市外西保里
太平門番地不詳 野菜行商
支那人 呉△△
当三十五年
違犯事実の概要
被告呉△△は肩書住所に於て野菜行商を営み居たる者なる処、昭和十三年一月十七日午後六時十分頃、杭州市聖塘路市政府前(丙兵站司令部向側)を通行の際、同所土塀に貼布しありたる日本軍作成の布告文及日支親善の「ポスター」各一枚を剥取りたるを、同所附近警戒中の日本軍歩哨に逮捕せられたるものなり
『続・現代史資料6 軍事警察』P.95-96
<二月四日 雪後晴 杭州 公判開廷 判決宣告>
<軍律違犯被告取調>
四、根本検察官は加藤録事立会を以て支那人呉△△軍律違犯事件に付軍憲兵隊通訳田中忠夫に通事を命じ同人を介して被告の取調を為したり
『続・現代史資料6 軍事警察』p.96-97
<二月六日 曇 杭州 軍律違犯件証人取調>
一、根本検察官は加藤録事立会を以て支那人呉△△軍律違犯事件に付証人一名を取調を為す
『続・現代史資料6 軍事警察』p.98
<二月七日 晴 杭州 部員出張より帰著>
<軍律違犯事件受理>
五、左記軍律違犯事件軍憲兵隊より捜査報告を受け法務局へ事件受理報告を為す
被告 住居 支那浙江省杭州市延齢路
第百七十六号理髪師
支那人 李△△
当二十一年
違犯事実の概要
被告李△△は民族的意識に基く抗日思想を抱懐し、日本軍を杭州より撤退せしめんと欲し、日本軍隊宿舎附近に放火せむことを決意し、昭和十三年一月十三日、杭州市平海路所在の支那人空家に次で翌十四日、同市仁和路所在の支那人空家に夫々放火し因て計三十八戸を焼失せしめ、更に同月十七日午後九時三十分頃、同市英土街にある第十八師団歩兵第百二十四聯隊第二機関銃隊衛兵所向側同市延齢路所在支那人空家に放火せしむとして燐寸を擦りたるを、同所歩哨に発見逮捕せられ未遂に終りたるものなり
『続・現代史資料6 軍事警察』p.98-99
<二月六日 上海 出張中の田嶋部員の行動>
一、午前十時中支那方面軍軍律会議に於て開廷せられたる被告支那人陸△△に対する軍律違犯事件の公判審理に特別傍聴を許可せられて入廷し、之が見学を為し、次で右被告の刑の執行の際しては其の執行場に特別入場を許可せられ、死の執行を見学したり、午後四時上海憲兵隊並に同分隊に到り挨拶並に事務連絡を為し、主地兵站宿舎万歳館に投宿す、同夜小川法務官宿舎に来訪し種々業務に関し懇談を為したり
『続・現代史資料6 軍事警察』p.100
<二月八日 晴 杭州 公訴提起>
<軍律違犯事件被告取調>
二、根本検察官は加藤録事立会を以て支那人李△△軍律違犯事件に付軍憲兵隊通訳田中忠夫に通事を命じ右通事を介して被告の取調を為す
『続・現代史資料6 軍事警察』p.100
<二月九日 晴 杭州 被告事件の受理>
<軍律違犯現場実況見分>
二、根本検察官は加藤録事立会を以て支那人李△△軍律違犯事件に付被告及通事を同行し、杭州市延齢路第百七十六号地附近に到り証人二名を立会せしめて現場実況見分を為したり
<軍律違犯証人取調>
三、根本検察官は加藤録事立会を以て支那人李△△軍律違犯事件に付証人二名の取調を為したり
『続・現代史資料6 軍事警察』p.101-102
軍律違反事件一覧表
軍律違反事件一覧表 昭和十三年二月八日調 第十軍軍律会議 |
記録番号 |
件名 |
受理年月日 |
捜査又は審判の別 |
住所 |
氏名 |
昭和十三年 一 |
布告文及ポスター剥取 |
昭和一三、二、三 |
捜査中 |
支那浙江省杭州市西保里太平門 |
支那人 呉△△ |
〃 二 |
放火 |
同一三、二、七 |
同 |
支那浙江省杭州市延齢路一七六号 |
支那人 李△△ |
以上二件未決にして既決のものなし |
『続・現代史資料6 軍事警察』p.119
中支那方面軍軍法会議陣中日誌
昭和一三年一月四日―昭和一三年二月六日
<一月五日 晴 上海>
一、大塚法務官は方面軍司令官に着任の旨申告す
軍法会議、軍律会議の開設に関する軍令案に付研究す
『続・現代史資料6 軍事警察』p.124
<一月六日 晴 宮殿下御来部予定>
一、大塚法務官は方面軍特務部及租界憲兵分隊に到り着任の挨拶を為し、特務部に於ては方面軍軍法会議、同軍律会議開設に関し打合せを為す、尚軍人軍属其の他の犯罪状況等を聴取す
同法務官は公平〔匡武〕、白木〔真澄〕両参謀と軍法会議及軍律会議の管轄区分に付打合せを為す
『続・現代史資料6 軍事警察』p.124
<一月十一日 晴 上海>
一、小川法務官以下法務官全員午前十時
中支那方面軍軍法会議事務取扱に関する件
中支那方面軍軍律審判規則中改正の件
同方面軍軍律会議押収物品取扱規則制定の件
同方面軍囚禁場規程制等
に付審議し各成案を得たり
一、大塚法務官は方面軍軍法会議判士及同軍律会議審判官の命課に付参謀副長、高級副官に協議を為す
(中略)
一、上海派遣軍法務部長より小川法務官宛左の電報あり
貴軍に軍律会議開設せられたりや返待つ
小川法務官は左の返電を為す
近く開設の筈に付記録至急送付せよ
『続・現代史資料6 軍事警察』p.127-128
<一月十二日 晴 上海 中支那方面軍軍律審判規則中改正>
一、左の通中支那方面軍軍律審判規則を改正せらる
中支那方面軍軍律審判規則中改正の件
※中方軍令第四号と同一の為省略
(中略)
<中支那方面軍軍律会議命課>
日日命令
陸軍法務官 小川関治郎
中支那方面軍軍律会議検察官を命ず
陸軍法務官 大塚操
同 菅野保之
中支那方面軍軍律会議審判官、検察官を命ず
陸軍録事 鈴木又三郎
同 中山清次郎
同 笠原吉岡
中支那方面軍軍律会議附を命ず
『続・現代史資料6 軍事警察』p.128-131
<一月十四日 晴 上海>
一、日日命令に依り左の通命課す
(中略)
陸軍歩兵大佐 武藤章
同 中佐 村上宗治
同 砲兵中佐 公平匡武
同 歩兵少佐 幸田畔蔵
同 浅沼吉太郎
同 白木真澄
同 工兵少佐 松本宗二
同 二宮義清
同 歩兵大尉 水上重彦
同 騎兵大尉 高木威勲
同 歩兵大尉 西寧
同 中尉 鈴木兼雄
中支那方面軍軍律会議審判官を命ず
(一月十日附)
<被告事件受理>
一、租界憲兵分隊より左記被告事件の捜査報告を受く
国籍 中華民国湖南省永州
遊撃第一大隊第二中隊第八班
軍律違犯 李△△
(三十年)
一、上海派遣軍軍律会議より左記被告事件の送致を受く
国籍 中華民国江蘇省常州城頭橋張家村
住所 上海労勃生路門牌八一一号
軍律違犯 桶屋 陳△△
(四十二年)
『続・現代史資料6 軍事警察』p.133-134
<一月十九日 雨 上海>
一、大塚法務官は受命審判官として取調の為租界憲兵分隊に赴き鈴木録事立会の上左記被告事件に付取調を為し更に軍律会議開催に関する打合せを為す
軍律違犯 李△△
同 陳△△
(中略)
<審判請求>
一、同法務官(小川関治郎法務官)は検察官として左記被告事件に付捜査報告の上審判請求を為す
軍律違犯 陳△△
<審判請求>
一、同法務官は検察官として左記被告事件に付捜査報告進達の上審判請求を為す
軍律違犯 李△△
『続・現代史資料6 軍事警察』p.136
<一月二十日 雨 上海>
一、午後一時三十分左記被告事件に付公判を開廷、各頭書の通判決の宣告あり、午後五時閉廷す
死 (求刑同上)軍律違犯 李△△
監禁二年(求刑同上)軍律違犯 陳△△
右審判の構成左の如し
審判長陸軍砲兵中佐 公平匡武
審判官陸軍法務官 大塚操
審判官陸軍歩兵大尉 西寧
検察官陸軍法務官 小川関治郎
録事陸軍録事 鈴木又三郎
右犯罪事実に就ては審判書写を添付す
一、笠原録事は小川法務官以下と同行し諸般の開廷準備を為す
一、大塚法務官は租界憲兵分隊長代理下渡准尉其の他に対し死の宣告ありたる李△△の戒護に関し注意を促し、其の執行に関し連絡を為し、且つ囚禁場職員命課の件に付連絡を為したる上鈴木、笠原両録事と共に午後六時帰庁す
一、小川法務官は帰庁の上右審判の結果を参謀長に連絡し且つ軍司令官に一件記録を提出し其の報告を為す
日日命令
陸軍歩兵上等兵 杉浦修三
同 原新治
同 川田藤吉
同 一等兵 鈴木喜平
右中支那方面軍軍法会議及中支那方面軍軍律会議警査職務取扱を命ず
『続・現代史資料6 軍事警察』p.138-139
<一月二十一日 晴 上海>
一、前日死の宣告ありたる李△△に対し本日之が執行指揮を為す
一、午前八時五十分租界憲兵分隊下渡准尉より左記要旨の電話あり昨日軍律会議に於て死の宣告ありたる李△△に付ては厳重警戒し居たるが、本日午前一時半頃、監視者の隙を窺ひ硝子窓を破壊し庭に出て塀を踰越し逃亡したり、当分隊にては急を知るや各憲兵隊、海軍、警察署其の他に協力を求め非常線を張り極力捜査中なるも未だ逮捕するに至らず、昨日注意を受け居たるに拘らず事故を起し誠に申訳なし、其の当時電話せんとしたるも通ぜず遅延せり
一、小川法務官は右李△△逃走の件を参謀長に連絡し大塚法務官をして実情調査に赴かしむ
一、大塚法務官は鈴木録事を随へ租界憲兵分隊に到り李△△逃走の件に付下渡准尉より情況を聴取し且現場の調査を為したり
其の概要左の如し
一、大塚法務官は鈴木録事と共に租界憲兵分隊に臨み李逃走の情況に付同分隊より聴取し且実況を見分したる結果を綜合するに左の如し
(1)李を収容せし留置場は門衛より約十間を距つる個所に在りて事務室に最も近く、間口約一間半、奥行約五間の煉瓦造建物にして二室に分れ、入口に接する西室は約五坪、東室は約二坪半ありて何れも板間なり、西側に入口ありて約四尺の扉を取付け北側に三ヶ所の窓ある外周囲は煉瓦壁にして外部に通ずるを得ず、窓は高さ約六尺、幅約三尺にして下際迄約四尺ありて各三枚の硝子枠を取付け、東端及中央の二ヶ所には外部より板を取付けあるも西端の窓には監視に便ならしむる為板を取付けあらず
房は西室を充て東宝は単に便器を置けるのみ
(2)租界分隊にては分隊長入院不在中なるを以て代理下渡准尉は事務室当直憲兵、門衛、当直補助憲兵に厳重警戒方を命ずると共に、李を収容せる留置場には強盗被告人斎□□□、国□□□、入倉者青□□□を同房せしむる外、特に窓際長椅子に贓物被告人小□□□□、東南隅籐椅子には掠奪被告人保□□□を置き厳重監視方を命じ置きたり
(3)然る処午前一時四十分頃窓際にありし小□□が用便の為東室に立ちし瞬間、李は身を躍らし体当を以て西端の硝子二枚を破壊して外部に飛出し廊下を通りて裏庭に出て東南隅にある約四尺の竹戸を開きて高さ約三間の内塀を容易に外に出で、高さ約二間半の外塀との中間幅訳四尺の通路を進み北端に在る約二坪の物置小屋前約四尺の地点に手錠を棄て物置前に立掛けありし破戸を利用して該小屋の屋根に登り上衣を捕縄諸共脱ぎて其所に棄て、夫れより外塀に登りて外側道路に飛降り以て逃走したるものと認めらる、李の硝子窓を破壊するや留置人は驚き、或は之を追跡し、或は憲兵に報告し、憲兵亦追跡したるも暗夜の為其の行方を見失ふ
一、小川法務官は法務局長に対し左の電報を為す
昨二十日軍律違犯李△△に対し死、同陳△△に対し監禁二年の判決あり、李は本日午前一時半頃脱監逃走し未だ逮捕するに至らず
『続・現代史資料6 軍事警察』p.139-140
<一月二十二日 晴 上海>
一、発送書類
法務局長 被告事件受理の件報告(周△△外六名)
法務局 審判書写送付の件(李△△ 陳△△)
『続・現代史資料6 軍事警察』p.141
<一月二十三日 晴 上海>
一、発送書類
(中略)
租界憲兵分隊長 被告事件処分結果の件通牒(李△△ 陳△△)
『続・現代史資料6 軍事警察』p.141-142
<一月二十四日 晴 上海 被告事件受理>
一、発送書類
(中略)
中支那方面軍司令官 判決宣告の件報告(同右)
審判宣告の件報告(李△△ 陳△△)
『続・現代史資料6 軍事警察』p.140-141
<一月二十五日 曇 上海>
一、小川法務官は菅野法務官を随へ午前十時自動車を以て司令部出発、上海租界憲兵分隊に到り同分隊下渡准尉の案内に依り中支那方面軍囚禁場を巡視し戒護上改善を要する事項を指示したる上正午頃帰部す
同囚禁場は目下同分隊構内空地に設けられたる約二十坪のバラック式建物を以て之に充てられ、内部は南北二房に仕切り各房約十坪の広さを有し、内約八坪は約一尺の高さに床を設け蓙を敷き詰めあり、何れも屋根及周囲は「トタン」を以て囲み天井には板を張ることなく梁露出す、房内には各電燈一個を点じあり、本日現在にて北房には日本人八名、支那人七名を、南房には日本人八名、支那人五名を収容す、各房共西側の壁に約三寸平方の窓を切り監視に便ず、各房共出入口として西側の壁の略中央に一個宛設けらる、而して房内西側床にあらざる細長き部分は直に地面となる
以上監房は其の設備極めて悪しく、梁を利用して自殺を企て、又は地面を掘下げて逃走を計る如き虞なしとせず、因て至急梁の表はざる様天井を張り、又周囲の地面には適当の方法を施すの要ある旨を指示す
尚従来使用せし監房は、右バラック建の北方約三米の場所に在る支那人家屋を利用せし広さ約十坪の煉瓦建にして、内部は二房に分たる、而して最近其の西側の大房より囚人の脱走ありたる為目下窓の修理等を施し居りて使用せず、窓は二房を通じ北側に三個南側に一個あり、何れも内部は板を以て縦格子を作る、外部には硝子板を張り詰めあり、戒護上は格子の内部に細き鉄鋼を張るの要ありと認め、其の旨小川法務官より指示す
囚禁場の周囲は煉瓦塀を囲らせるも、囚人逃走の場合に登攀するに便なる物附近に散在せるを以て之が取除方を指示す
『続・現代史資料6 軍事警察』p.142-143
<一月二十七日 晴 上海>
一、小川法務官は鈴木録事を随へ自動車を以て午前九時四十分頃司令部を出発、上海憲兵隊本部に到り、隊長不在に付副官中尉と明日同隊に於て開廷せらるる予定の周△△外六名軍律違反事件審判に関し打合を為し午前十一時過帰部す
鈴木録事は午後二時過単身再び同隊に赴き右の件に関し下渡准尉と打合を為し午後三時頃帰部す
(中略)
一、発送書類
法務局長
審判請求の件報告(周△△外六名)
『続・現代史資料6 軍事警察』p.144-145
小川関治郎陣中日記
1月17日
○軍律違犯陳金金事件に付き審判請求の準備を為す
『ある軍法務官の日記』 p.156
1月18日
○一日中陳金金軍律違犯事件、李新民同事件の公判準備を為す
上記軍律違犯事件及び其の他の被告事件に付き司令官の決済を受くべき筈の処 殿下台臨の為司令官にその暇なき為是非その手続き運ぶべき積りなり
『ある軍法務官の日記』 p.157
1月19日
○高い×××傷害、熊×××詐欺、長×××傷害、石×××傷害、瀬××××傷害j兼の不起訴意見を司令官に上申 決済を受く 次に野××××傷害致死、鴨××傷害事件の公訴提起意見を司令官に上申同様決済を受く 次に李新民軍律違犯、陳金金同事件に付き審判請求意見上申之も決済を受く
『ある軍法務官の日記』 p.159
1月20日
○午後二時頃より李新民、陳金金の各郡立違犯事件に付き審判、五時近く迄かかる 李新民は我が警備隊が蘇州河を下航中 他の李桂山、王考四と共に手榴弾を投下したるものにして同人は所謂遊撃隊に加入し之を脱せんとするも 李桂山等より脱せんとすれば殺すと脅迫され、又食ふに困る為彼等と共にしたりと述べ 自分が死の要求を為したるときは何れにしても進退きはまり食ふに困るゆえ為したるものなれば諦めると言ひながら涙を流して悲哀したり 次に陳金金は軍律を記載せし司令官の布告を剥奪破棄したるものにして自分が二年の監禁を要求せしときは手を合せて喜びたり 之れ支那人は罪を犯せば直に首を切られると思ひたるが如し 然るに二年にて命が助かりたりと喜びたるならむ 何れにしても支那人相手の場合には我が兵に対する場合の如く何等考慮する等のことなく罪あれば簡単に処分するを得れば多くの面倒を感ぜず
○軍律違犯事件の審判終了すると又本日七名の事件を受理す 軍律違犯は容易に犯人を発見し得ず恐らく事件僅少ならんと思ひ居たるも斯く続いて繁属するは最も想像外とする所なり
『ある軍法務官の日記』 p.160-161
1月21日
午前八時三十分租界憲兵分隊より電話にて昨日死の宣告ありたる軍律違犯事件李新民が午前一時三十分頃囚禁場監房硝子窓を破壊逃走し極力捜索中なりとの報告に接す
同人は本日早速執行の予定を以て夫々その準備中なりしに僅か一夜の中に斯る事故を起したるは遺憾なり 而も自分は昨日死の宣告ありたる後得に憲兵に対し警戒を厳重にする様注意し置きたるに拘らず警戒を怠りたる結果に因るならん 返す返すも残念に堪へず 或は何となく事故のことが気に掛り殊更注意を与へたるは一に自分の予感にあらずやと思はる 是迄自分の経験によれば自分が何となく危ふしと思ひたる場合には飽く迄警戒するの要あるべしと思はる
此の複雑極まる上海にては到底逮捕し得ざるにあらずやと思はる
本日は周継棠外各軍律違犯事件の書類を調査し審判の準備を為す
『ある軍法務官の日記』 p.161
1月24日
一日中周継棠外六名の軍律違犯事件書類を取調ぶ 別働t隊なるものは不良青年の集合にして所謂遊撃戦術に依り日本軍の後方撹乱を目的とするものにして相当上海方面に於ける戦闘当時には活動したるものなるが如し 然るに南京陥落後は殆ど広東方面に遁避し只僅に一部の残党が地下運動を為すものの如し 何れも大部分無頼漢(流氓)にして寧ろ生活に困難なる為之に加入したるが如し
『ある軍法務官の日記』 p.163-164
1月25日
午前十時より菅野法務官を随へ租界憲兵隊内に設けある囚禁場視察に赴く 同囚禁場には支那人十二名日本人十六名収容しあるもその設備極めて不完全にして去る二十日夜支那人李新民破獄の事故を惹起したるは止むを得ざるが如く観ぜらる 之れ全く急場に応ずる為と戦地に於ては到底完全の設備は望み難きも設備如何に拘らず看視警戒さへ十分行届き居れば事故は恐らく防止する得べく 尤も憲兵も非常に多忙なると人員の少きにより相当疲労困憊し居れば深夜事故の起し易きことは免れざる所なりと思ふ 然るに此の過ちによりて 今後の警戒に対し所謂頂門一箴ともならば幸ひなりと思ふ 尚この一支那人以外に目下相当悪質の支那人にして我軍後方撹乱を測りし物七八名拘束中なれば以て之等に対する警戒を一層厳重にすべきことを特に指示し置きたり
『ある軍法務官の日記』 p.166
1月26日
周継棠外六名軍律違犯事件の論告要旨を作成す 結論として「被告等は多数相結束して党を為し以て帝国軍に対し危害を加へんとする不逞団に属するものにして彼等の行為を帝国軍の安寧を害すること甚しきのみならず帝国の期待する東洋の平和を妨ぐるものならば絶対に斯かる極悪分子は之を撲滅するの要あること論を俟たざる所なり 故に厳重に制裁を以て之に臨み彼等全部は最も重き罰に処するを相当とす」
○周継棠外六名の軍律違反事件に付き捜査報告を為し意見の通り司令官の審判請求の命令を受く 近く審判開始すべく着々その準備を為す
『ある軍法務官の日記』 p.167-168
1月27日
明日審判すべき軍律事件に付きその打合せの為上海憲兵隊に赴き審判中に於ける用意又執行に付いては万遺漏なき用万般の準備を為す旨を指示す 特に支那人に対することにして囚禁場には他にも外の事件の為に支那人が五名収容中なりとのことならば愈々執行するに当り人逃をせざる様減に注意すべきこと 支那人には言語は通訳を通じ十分意の徹底せざる嫌ひありて又本人も自分が如何なる執行を受くるや十分承知せざること勿論なれば之を執行場所に引致する場合にも人逃と思わず只之れ言はるる侭に引致せらるることなきを保せう 注意に注意を重ね取扱ふ様詳細に指示す
『ある軍法務官の日記』 p.168-169
1月28日
○午前九時より周継棠外六名軍律違反事件を審判す この内にて周継棠は首領株にして第二区隊長たる地位にあり又元来流氓即ち無頼漢侠客にして以前子分五百名を有せんものなりといふ 見た所も他の者に比し相当しつかりした者と思はれたり 一時頃審理を終り直に執行の準備を為し五時半執行終らす 自分は検察官として審判にも立会ひ続いて執行の指揮を為し憲兵をして執行せしめたり 只犯人に付き感ずる所は審判中或者は自己の不利なる点に付き極力否認せんとしたる者ありしが愈々執行を受くるに臨みては何ら悪びれたる様もなく尋常に刑場に入りしといふか極めて穏やかにして度胸がいいといふか諦めが早いといふか一言も発する者もなく至極滞りなく終了したり 併し自分も相当心を強くしてこの事件を故障なく終了せしめんとの覚悟を為せし為か殆ど異様の感を起せしことなく終りたるも斯様の職務は決して望むべきものにあらず 只職務上行ふものなればといふ理由により心の痛みを感ぜずといふを以て当たれるか 犯人の氏名は(数字は年齢)
周継棠34、方家全28、楊光薗21、除祥慶17、張満棍23、顧伝元30、陳坤林29、
聞く所によれば支那人は愈々最後と決すれば観念し何等喧嘩する等のことなく極めて度胸を据える様はその特性なり 之の如何なる心理によるか自分としては適確なる観察を下し難きも何か一種の迷信によるものにあらずやと思はる 重ねて記すその態度尋常而も従順にして極めて想像外とする所なり
『ある軍法務官の日記』 p.170-171
1月29日
○午前十時司令官登庁せらるると同時に昨日処理せし周継棠外六名の軍立違犯事件に付き詳細報告す
『ある軍法務官の日記』 p.171
2月3日
○陸丹書軍律違犯事件捜査報告あり
○午後同上事件被告を尋問す 本件は淞滬義勇軍遊撃隊の第二大隊にして配下の者二人に煙草の空缶に爆薬を詰めたる手榴弾一個交付し日本軍に投擲せしめんとしたるものなり
被告は貸人力車業にして使用人百人余あり 外に兵器の密輸入も為したる如く資産も二十万円も有すと 遊撃隊の隊長としては四十人余の部下あり 連名簿ともいふべき義記と記せし部下の名を揚げたるものを所持し居り 総隊長ともいふべきものは趙錫光といふ者なりと
『ある軍法務官の日記』 p.179
2月4日
○一日中陸丹書の軍律違犯事件、及び福××××、小××××、掠奪 窃盗 贓物運搬事件の取調を為す
『ある軍法務官の日記』 p.180
2月5日
○福地光之助掠奪、窃盗、等事件同被告を租界憲兵文体にて取調べを為す 又明日審判の予定なる陸丹書軍律違犯事件に関する事項に付き分隊長代下渡准尉と種々打合せを為す 若し死の宣告ありたるときは北停車場北方の空地にて執行することに決定し置きたり
『ある軍法務官の日記』 p.181
2月6日
○次で陸丹書軍律違犯事件に付き審判に立会ふ 死の宣告ありたるにより午後上海北站停車場に於て執行す 三名の射手により小銃にて射撃したるも完全ならず 尚他の憲兵軍曹に於て拳銃にて二三発撃して漸く施行し終るを見る 既記せし如く支那人は最後に臨みては実に度胸の据つたものなるが本被告も審判中には泣いたり叫んだり両手を合せて拝みんだり座り込んだで動かず等相当愁嘆を演じ愈々死の宣告にても受けたる場合には如何にするかお思ひたるに最後に至りては何等かかる愁嘆もなく又動ずる様のこともなく尋常に引致せられて刑場に至る 刑場に向ふ前にも執行するときには首を斬るか銃にて打つか何れなるかと尋ねたりと 本人としては銃によるよりは一思ひに首を斬らるる方を望めるものの如し 最後に彼の言ふ所は自宅に百通以上他より来りたる手紙あればそれを能く見て呉るれば自分が如何なる者か悪い者にあらざることが明らかになるゆえそれを取寄せ十分点検し呉るる用頼む旨を頻りにわめき居りたりしのみなり 死の執行は銃殺よりは惨殺の方が全く一思ひにて最も簡単にて所謂奇麗に出来ると思ひたり 只惨殺は残酷なりとの観念によるが如きも銃殺にても一発にて完全に終れば或いは可ならんもそれが容易に一発位にては終らず 斬る方なれど大概一撃にて終るは実験上より之を認めたり
『ある軍法務官の日記』 p.181
2月9日
△遊撃隊長逮捕銃殺さる(上海毎日新聞)殊勲! 憲兵隊の活躍 河向ふの暗黒面を頼り小癪にも我に刃向ふ内部紛糾も表面化(四分五裂)。淞滬義勇軍遊撃隊の名を以て敗戦支那の誇大宣伝に踊らされ小癪にも皇軍に刃向はんと共同仏両租界の暗黒面を頼みに手榴弾投擲を唯一の手段として跳梁 最近漸く内部紛糾を醸して赤裸々に裏面を暴露しつつあるこの遊撃隊に対し我が憲兵隊本部ではこの機に徹底検挙を行ふべく同部全署員を動員 去る一月三十一日払暁共同租界某所を襲つて該義勇軍遊撃隊第二隊長某を逮捕、直ちに租界憲兵隊本部に留置取調べ中であったが去る六日午後二時憲兵隊死刑執行場にて銃殺に処した。この第二大隊長某は去る九月頃より一党を組織して目下共同租界内に本拠を置き近く皇軍に対し手榴弾投擲の挙に出でんとしてゐたものであるが敗戦支那の宣伝に依るこの義勇軍組織にも漸く内訌の兆しが来しこの統制に必至となつっていた処を我が憲兵隊本部の探知するところとなり同部員の手を動かして逮捕となるに至つたものである。
上記の隊長と言ふは六日自分が検察官として立会ひたる軍律会議に於て死を宣告し死を執行せし陸丹書なり
『ある軍法務官の日記』 p.185-186
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