独立山砲兵第2連隊


昭和一二・一〇・〜一五・九
独立山砲兵第二聯隊中支・南支戦闘詳報
2BAs本部

〈説明〉

 本資料は、アジア歴史資料センターに掲載されている簿冊「独立山砲兵第2連隊 中支 南支戦闘詳報 昭和12年10月〜15年9月」所収の「獨立山砲兵第2連隊(第2大隊欠)戦闘詳報 (第1号) 獨立山砲第2連隊/6.棉花地区附近の戦闘」と「獨立山砲兵第2連隊(第2大隊欠)戦闘詳報 (第1号) 獨立山砲第2連隊/7.上河鎭附近より江東門三岔河の戦闘」の文字起こしをしたものである。
 独立山砲兵第2連隊は、南京攻略戦では第6師団歩兵第45連隊の指揮下にあり、南京城外西部地区を北進し下関まで進攻している。歩兵第45連隊は部隊記録が非常に少ないため、その行動の詳細は不明確な部分が多い。歩兵第45連隊の指揮下にあった独立山砲兵第2連隊戦闘詳報は、歩兵第45連隊の行動を知る上でも貴重な資料といえるだろう。

 なお、転載している図のうち2枚目「南京攻撃 江東門附近戦闘経過要図」は、原典であるアジア歴史資料センター所収の戦闘詳報ものではなく、当時の独立山砲兵第2連隊連隊長 原田鶴吉氏の著作『自昭和十二年十月 至昭和十五年九月 原田部隊 戦記』(原田部隊戦記発行準備会編、昭和三十四年三月一日、非売品)からの転載となる。
 戦闘詳報の「七、上河鎮附近より江東門三岔河の戦闘」の「五」には「本戦闘の状況別紙要図の如し」と書かれているが、原典の戦闘詳報には掲載されていない。原田氏の著作の附図が内容として一致する為、参考資料として転載させていただいた。
 原田氏の著作には豊富な略図が附図として掲載されているが、おそらくは当時の部隊記録から転載しているのではないかと思われる。例えば同書「附図No.1」として掲載されている「原田部隊中南支行動要図」は、戦闘詳報に掲載されている「原田部隊中南支行動要図 自昭和12年10月至昭和15年9月」とほぼ同一のものである(ただし、完全に一致はしない)。原田氏の著作を編纂する際に、当時の部隊記録を用いたのではないかと思われるが、その詳細は不明である。

 本ページに掲載するにあたり、片仮名は平仮名へ、旧漢字は新漢字に適宜直している。また、原典から読み取りができない部分には「■」と入れてある。


六、棉花地付近の戦闘

一、45iは棉花地附近に敵の掩蓋機関銃六あるを知り十一時四十五分之を攻撃するに決し砲兵一部の協力を求められ第三中隊をして之に協力せしむ
協定に依り歩兵砲を以て右三火点砲兵を以て左三火点を制圧せり

二、十九時敵兵退却せるを以て第一線は之を追撃す砲兵第二中隊を以て之に協力せしめ棉花地北方千米に放列を布置し之に協力し日没となれり
此夜45iと共に棉花地に露営す

三、戦闘経過概要別紙要図の如し

独立山砲兵第2連隊06_02

四、使用弾薬 六〇

五、本日遭遇せし彼の兵力は約一千にして機関銃少くも六を有せり

六、我損害 馬 二

七、十二日午前第二中隊をして前衛たる歩兵第三大隊の攻撃に協力せしむ 第二中隊は上河鎮南側の機関銃を制圧し次て其の西方クリーク西北岸に敵迫撃砲ありて歩兵の前進困難なる通報に依り砲車を推進して之を射撃僅かに六発を以て多大の損害を与へ退却せしめたり

八、45iは水西門攻撃の為主力を以て棉花地―所街道を所街に前衛(Vi)を以て上河鎮北端に向ひ前進するに決し十二時五十分出発所街に向ふ
砲兵はUiの後尾を続行し所街に前進中行くこと千米にして左側方よりMGの猛射を受く 兵は堤防右側を通得るも砲兵及乗馬は堤防上ならされは通過し得す新■■損害多■■■ひ45i長は砲兵聯隊長に■■左の意図を示し援護歩兵一小隊を附せり
砲兵聯隊長は砲兵及歩兵の馬を指揮して原位置に一時後退し此の右方道路を偵察し後刻右方道又は此の道或は又上河鎮道を所街に向ひ前進すへし其の進路及進出時期は貴官に一任す
茲に於て砲兵聯隊長は部隊に後退を命せしも先頭に進出しありし第二中隊は敵火の為後退不能となりし為茲に放列を布置し敵を猛射す銃声に依り判断するに敵少くも二千あるものの如し掩護歩兵の一部及附近の工兵之に協力す
本日の使用弾薬 二〇

九、聯隊は弾薬残弾七〇に減少し十二日四一式山砲弾薬の改造をなしある折柄先に連絡に出たる岩本少尉来り我第二梯団昨夜汪家村に達し目下棉花地に向ひ前進中にして又別に師団の配慮に依る弾薬二百発正午頃到着の報を得次て正午以後夕刻に亘り第二梯団及弾薬陸続到着全く聯隊の戦力充実せり
到着弾薬合計八三〇発なり

七、上河鎮附近より江東門三岔河の戦闘

一、聯隊長は第二中隊を其の儘とし主力を後方に集結し第二梯団を編成内に入れ、弾薬を充実すると共に前田少尉を右方進路偵察に高橋中尉を歩兵主力進出路丸井少尉をViとの連絡に出せり

二、右偵察の結果前二道は敵兵充満し通過不能にして上河鎮方面最も容易なるを知り正午出発するに決し炊事なさしむ
二十一時先に45i長の許に出したる有働少尉来り45i命令を下達
其の要旨左の如し

1.45iは水西門攻撃を取止め下関に向ひ前進し敵の退路を遮断す
2.前衛たるViは一部を以て北河口を経て揚子江右岸地区を下関に前進主力は上河鎮を経て江東門に前進
3.Uiは所街を経て江東門に前進
4.2BASは一部を以てUiに主力を以て前衛(Vi)の進路を前進当該部隊の攻撃に協力特に江東門攻撃の為準備すへし
一分隊を直ちに前衛に差出し北河口に進出する中隊に配属すへし

三、茲に於て高橋中尉の指揮する一分隊を前衛に急行せしめ二十二時左の命令を下達す

1.竹下支隊は明十三日江東門の敵を撃破し下関方面に前進し敵の退路を遮断す
2.聯隊は主力を以て左第一線(Vi)に一部以て右第一線(Ui)に直協せんとす
3.高橋中尉は第三中隊の一門を指揮し直ちに出発Vi長の指揮を受くへし
榴弾 六〇 発煙弾 一〇を属す
4.片山中隊(一小欠)は所街に前進Uiに直協すへし
聯隊本部との連絡点を上新川北端と予定す
5.而余の諸隊は主としてViに協力する目的を以て正子現在地出発、本部第三中隊久保山小隊大隊段列の順序を以て先つ上新川に前進すへし
6.弾薬の分配に関しては聯隊副官の指示を受くへし
7.余は現在地にあり出発後部隊の先頭を行進す

四、聯隊主力は前項命令の如く出発Viの許に至り戦況を聞きViに続行上河鎮を経て途中幾多の障害を排除しつゝ十三日六時戦闘を交ふることなく江東門に達し支隊長と会す茲に於てUiは前衛となり我片山中隊又之に続行し巳に北進せるを知る

五、爾後Viの後尾に続行江東門北端の仮橋を渡るや軍人刑務所西端に時ならす銃声あり即ち支隊は約三千の敵と不規遭遇せしなり
直ちに先つ久保山小隊に射撃を命し次て岡村中隊に射撃を命す岡村中隊は之より稍前仮橋を渡河せんとするや前方及左側方に各百の敵現出せるを見独断之を射撃したる後進出せり
久保山小隊岡村中隊刑務所西端に於て戦闘中■■■隊長より砲一門を以て刑務所■■歩兵小隊■■■へき命を受■■野少尉の指揮する一分隊を急派す
本戦闘の状況別紙要図の如し
消費弾薬 二三〇発
戦死兵 一 負傷兵 一
敵は合計三千にして損害千以上の見込

原田鶴吉『戦記』附図3

六、昨夜来Uiに協力せしめたる片山中隊(一小隊欠)はUiに続行午前五時頃江東門を通過北進し十三日九時三岔河附近に進出するや千余の敵と遭遇し且多数の敵兵揚子江を渡河中なるを知り之を猛射す其の大要左の如し

1.九時三岔河西端「クリーク」を渡河して逃るゝ敵兵及舟により揚子江上に逃るゝ者多数あるを認め直に之を制圧し相当の損害を与へたり交戦約二十分に及へり
2.九時三十分頃より下関に集合中の敵及揚子江を渡河する敵を午後二時迄射撃し其の渡河を妨害し敵に大なる損害脅威を与へたり
3.午前十時十五分頃より三岔河西端の製粉所■■■側の家屋に約七八百余避難したることを歩兵よりの通■■■し直ちに陣地を変換し之を制圧火災を起し敵に大損害を与へたり
4.敵は大損害を受けたるも其の一部は北方に退却せるものの如し
尚南京市高地には敵砲兵残存せるものの如し
5.本日交戦せし敵は最も勇敢にして我の渡河妨害に際しては我に機関銃の猛射を以てせり
6.本日の戦闘に敵の損害約四百と推察す我の損害亦佐々木准尉以下戦死五戦傷一を出したり
7.消費弾薬 一五〇
8.其の戦闘状況別紙要図の如し

独立山砲兵第2連隊07_07

七、聯隊は十三日十五時頃竹下支隊の主力と同行し三岔河(上保廠)に達し十六時三十分左の要旨命令を受く

45iはTiを右第一線としクリーク右Uiを左第一線とし下関方向の敵を攻撃す山砲兵聯隊は三岔河附近に於て一部を以て右第一線主力を以て左第一線の前進を支援すへし

依て三岔河北端に於て別紙要図の如く陣地を占領し夜に入る

独立山砲兵第2連隊07_09

八、十二月十三日二十三時二十分上保廠に於て左の要旨の竹下支隊命令を受く

1.竹下部隊前面の敵は我か力攻に依り其の退路を失ひ逐次投降しつゝあり
2.竹下支隊は右先遣隊を右第一線としUiを左第一線とし明十四日八時迄に六保重廠円程巷の線に攻撃を準備し下関獅子山を攻略せんとす
第一線両大隊の戦闘地境をクリークの線とす
3.山砲兵聯隊主力は午前八時迄に六保重廠附近に陣地を占領し主として左第一線大隊の戦闘に協力し第一線下関に達せは主として右第一線の獅子山攻撃に協力すへし

依て十四日六時、聯隊長は中隊長を従へ六保重廠に至り陣地を決定し六時四十分展開命令を下達し各中隊は八時十分陣地占領を終れり
之と同時に連絡班■左第一線大隊長の許に出■■■■
八時三十分左前方無名部落に数■敵兵出入しあるを発見し第二中隊をして射撃を命せしも友軍至近にあり且支隊長の意図に基き射撃を行ふことなく当面に観測所を有する第二中隊長をして歩兵と連絡し歩兵の一部を以て武装解除を行はしむ

九、九時支隊命令に依り前進敵の大なる抵抗を受くることなく十時下関に進出し兵力を集結し茲に敗敵討伐を終了す

独立山砲兵第2連隊戦闘詳報07_12

十二月九日聯隊か戦闘参加以来今日に至る間死傷者別紙の如くにして弾薬一一七八発を使用砲三門には各数発の弾痕あるも使用に支障なし馬の損害四割
残弾三〇〇を有し尚ほ十分に戦闘に堪へ得るの余力を有す
戦闘参加人員棉花地附近戦闘迄は第一梯団のみにして四〇〇名十二日夕以後第二梯団参加し九二〇名なり
聯隊段列か参加し得さりしは最も遺憾とする処なり




参考資料