南京地方院検察処敵人罪行調査報告

目次
一、調査の経過
二、敵人罪行の種類
 1 虐殺に関するもの
 2 傷害に関するもの
 3 姦淫に関するもの
 4 掠奪に関するもの
 5 破壊に関するもの
 6 其他に関するもの
三、戦犯及関係資料
 1 個別犯罪の調査
 2 集団屠殺の証拠
四、調査後の感想及建議
 1 罹災軍民を記念す
 2 履(罹)災者及家族の救済
 3 慈善機関の褒賞
 4 セキ人館の設置
 

参考資料


南京地方院検察処敵人罪行調査報告

一、調査の経過
 本検を察処は敵人罪行調査を命ぜられてより、所用の文書を印刷して市民一般に明らかに告示すると共に、南京市中央調査統計局・軍事委員会・調査統計局・南京警察所・南京市党部・南京市区憲兵司令部・三民主義青年団南京本部・南京市商会・南京市農会・南京市工会・南京市弁護士公会・南京医師会公会・紅卍字会南京分会及本院等、十四単位に宛て通牒し、各代表者を民国三十四年十一月七日午後二時、本院会議室に参集を請ひて第一次会議を開催、会議に於て南京敵人罪行調査委員会の組織を決議し之を成立す。
 又、各代表者は夫々文書を以て関係各方面に移牒し、市政府は各区町村の保甲を督励し、警察庁は各区警察分局を督励し、各ゝ分担責に任じ、其他の各団体は各其性質に応ずる調査の対象を確定して、以て調査の重複を避くることを議決す。
此間、敵側の偽(欺)瞞妨害等激烈にして民心銷沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者甚だ少なきのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際に於いて、冬の蝉の如く口を噤みて語らざる者、或は事実を否認する者、或は又自己の体面を憚かりて告知せ<ざ>る者、他処に転居して不在の者、生死不明にして探索の方法なき者等あり。
 以上の如き理由に依り此五百余件の調査事実は何れも異常なる困難を経て調査せるものにして、就中南京大虐殺は、前代未聞の大残虐たると同時に敵軍罪行の重点なるを以て、特別の注意を払ひて慎重調査を期し、種々探索訪問の方法を講じ、数次に亘り行はれたる集団屠殺に関する貴重なる資料を獲得する毎々一々之を審査し、確定せる被殺者既に三十万に達し、此外尚未だ確証を得ざる者合計二十万人を下らざる景況なり。
目下すでに第一期資料審査を完了し、今後の工作は各関係機関と協議し公開方式を採り一層宣伝に努め調査工作を徹底し、獲得せる資料は引続き整理綜合して報告せんとす。
 以上、本処に於ける敵軍罪行調査経過の概要なり。

二、敵人罪行の種類
  敵人の罪行は之を要約すれば概ね左に列挙する数種に分類せらる。

1 虐殺に関するもの
 南京陥落に瀕せる当時、雨花台地区に在りし我方軍民二、三万は、退去に当り敵軍の掃射を蒙り、哀声地に満ち屍山を築き流血脛を没する惨状を呈し、又、八卦洲に於ては争ひて揚子江に渡り逃れんとする我軍民は悉く掃射を受け、屍体は江面を蔽ひ流水も赤くなりたる程なり。
 陥落後、男女老幼五、六万人を幕府山附近数ケ村に監禁し、其飲食を絶ち、十六日、針金を以て二人宛縛し、四隊に別ちて草鞋峡に連行し 悉く機銃掃射を加へ、其上銃剣にて滅多刺に刺突し、更に石油を浴せて放火して之を焚き、残余の屍体は之を揚子江に投入せり。
 又、陥落後、難民区内に在りし我軍民を駆って漢中門に連れ行き、網を以て縛したる後掃射を加へて殺害せり。
 敵軍入城の日より起算し、集団屠殺二十余万人の外、凡そ我軍民にして未だ退去せざりし者は、敵人に遭へば必ず殺され、身を匿し居りて発見逮捕されし者は多くは刀剣の下に生命を失ひ、四肢と体とばらばらと成り血肉の区別も分らぬ如き状態と成り、此虐殺の惨状は実に有史以来未曾有の事なり。此外に、人民を強制徴発して軍役に使用し、自動車に搭載して何処にか運び去り、今日に至るまで八年、杳として消息を絶ちたるものあり。
 之等は如何なる方式にて殺害せら<る>るや不明なり。

2 障害に関するもの
 敵憲兵隊は勝手に人民を誣告して中国軍人なりとし、之を捕へて鉄線又は網にて縛して空中に吊し上げ、鉄棒・皮鞭或は棍棒等にて痛打し、 全身に傷害を与へて自白を強要す。 或は又、水若くは石油を鼻口に注ぎ込み、之が為死に瀕すること屡々なり。
 特に被害受傷者の呻吟を厳禁し、若し一人にても呻吟すれば必ず全部の者を強打す。
 毎日、悉々に棍棒を以て俘虜を乱打して楽しみとなし、乱打される際身を躱すを禁じ、若し之に違へば直に殴り殺さる。
 又、常に人民を拘禁して之を凍えさせたり、飢えしめたり。
 或は重荷を負わせて路上を奔馳せしめ、少しでも遅るゝ者は直に鞭を以て打たる、此の如き虐待は牛馬よりも甚だしきものあり。
 又、人民を殴打するに左右の手を以て一回宛殴り、次ぎに足を揚げて一回蹴り、之を名付けて(三面合撃)と称す。凡そ陥落地区の人民の殴打を受けしものは悉く此状態にて殴打せられたり。

3 姦淫に関するもの
 一般青年婦女より六、七十歳の高齢老父に至るまで被害者甚だ多し。其方式は強姦あり、輪姦あり、拒姦致死あり、或は父をして其娘を、或は兄をして其妹を、舅をして其嫁を姦せしめて楽しみとなす者あり。或は乳房を割き、胸腮を破り、歯を抜き、其惨状見るに忍びざるものあり。

4 掠奪に関するもの
 市内の商店・住宅はあらゆる衣服、諸物品、珍宝等悉く勝手に捜し出され、財物は一物も残らず搬送せられたり。

5 破壊に関するもの
 飛行機・大砲を撃破せる外、敵軍城内に進入するや到る処に放火し、莫大なる災害を惹起し、市民の蒙れる損害は挙げて数ふ可からず。

6 其他に関するもの
 敵多摩部隊は俘虜となれる我人民を医薬試験室に連れ行き、各種有毒細菌を其体内に注射し、其変化を実験せり。此部隊は最も秘密の機構なるを以て之に因りて死亡せるものの確数は明白ならず。
 医薬の実験の為に犬猫を犠牲とすることさへも仁者の忍びざる所、況んや我俘虜同胞を実験に供するは誠に犬猫にも劣れる取扱なり、哀まざるべけんや。之を要するに敵人の罪行は残暴凶悪無道の極にして、捜索せる資料を総計するに、
 被殺害者確数 三十四万人
 消失又は破壊家屋 四千余戸
 被姦及拒姦の後殺害されたる者 二、三十人
 被逮捕後生死不明者 百八十四人
にして其他は尚調査未完了なり。

三、戦犯及関係資料
  南京に於ける敵人の暴行を其性質に依り分類せるの外に、更に戦犯及関係資料に就き附加説明す。

1 個別犯罪の調査
敵人の行ひたる屠殺状況の調査は固より証言をなす能はず。幸いにして屠殺を免れたるもとの雖も、其身は災害に遭ひ掠奪を受け、危急の場合にありて誰か能く加害者の姓名を尋ね隊番号を記録し得んや。故に此種の調査は僅かに其片鱗を獲たるのみなり。姓名を挙げ得るものは僅かに、中野・黒木巳六・山崎新・石藤・吉田曹長・藤田軍曹・岡本一誠・山本・吉板・矢木丑治・永野貞信・元木・清山尚次・中原八千代等。
其他所属部隊番号あるも、姓名不詳のもの。大野・中島・長谷川・支那派遣軍・西部・畑中・日本特務機関・金陵・日本空軍・日本海軍・橋口・日本警備隊・登一六二九部隊・箕浦・山田・後藤・栄一六二五・多摩・大熊・塚部・石崗・一九二六部隊・治骨・鈴木・日本憲兵隊・日使館・猪木・徳川・俘虜収容所等二十九個単位。

2 集団屠殺の証拠
 南京陥落当時集団屠殺を行ひたる部隊は、
 中島、畑中、山本、長谷川、箕浦、猪木、徳川、水野、大穂の九箇単位。
 被屠殺者たる我同胞 二七九、五八六名
 新河地域 二、八七三名(廟葬者盛世徴・昌開運証言)
 兵工廠及南門外花神廟一帯 七、〇〇〇余命(埋葬者?芳縁・張鴻儒証言)
 草鞋峡 五七、四一八名(被害者魯甦証言)
 漢中門 二、〇〇〇余名(被害者伍長徳・陳永清証言)
 霊谷寺 三、〇〇〇余命(漢奸高冠吾の無主孤魂碑及碑文により実証)
 其他、崇善堂及紅卍字会の手により埋葬せる屍体合計 一五五、三〇〇余名
以上何れも別冊表に記載せるが如し。
 埋葬地点及人数に関しては何れも極めて明瞭にして、且つ関係人の証言に依る。其情況を益々明白ならしむる為、特に関係機関をして各埋没地区の残存情況を撮影せしめたる写真二十余枚を添へて証拠となす。

四、調査後の感想及建議
  抗戦八年、人民塗炭に苦しみ、家屋・墓地廃墟と化し、禍害の大なること筆紙に尽し難し。
  今や敵人屈服し、和平克復す。宜しく忠烈を表彰し、遺族を救恤し、慈善機関を褒賞すると共に、悲惨極まりなき史実を保存し、以て民心を警しめ、愛国心を養成すべきなり。
  茲に其主要なる事項に付述ぶれば左の如き。

1 罹災軍民を記念す
 今次罹災軍民の埋葬地は何れも粗陋にして薪草に蔽はれ、逐次湮滅の恐あり。宜しく官営を以て立派なる墓地を設け英霊を安んずると共に、碑を建て銘を録して其事蹟を明かにし、以て英霊を慰安すると同時に、之に千万年の後世にまで伝へて国民の亀鑑とす。

2 履(罹)災者及家族の救済
 被害者を調査するに、田園荒廃し、骨肉離散し、殊に八年の困苦を経て既に一家滅亡せる者あり、疾病に悩む者あり、或は飢寒に迫まらん日日救済の手を渇望するものあり、宜しく政府に於て救済の策を樹て、生存者は之を保護し、死歿者は之を慰籍すべきなり。

3 慈善機関の褒賞
 敵軍の南京大屠殺に当り、崇善堂及紅卍字会の組織せる埋葬隊は屍体の埋葬に従事せるが、崇善堂は連続工作四ケ月の埋葬死体一一二、六七(一一二、二六六)、紅卍字会は連続工作半ケ年埋葬死体四三、〇七一.当時南京に留守せる金陵大学及金陵女子大学の亜米利加人教授は此光景を目撃して傷心に堪へず、国際救済委員会を組織し、前後避難民数万人を収容せり。之等尊敬すべき盟友善士は、人類の同情と義憤に激し、敵人の侮辱と脅威を顧みず、危険を冒し、或は救護に或は埋葬に努力し、其功績は永遠に不滅なり。
 宜しく各人別に夫々扁額を贈呈し、或は褒賞を授与し、以て褒賞すべきなり。
 特に崇善堂周一漁先生の如きは老衰病弱、生活に困窮せる有様なるを以て、宜しく之を救済するを要す。

4 セキ人館の設置
  敵人の我同胞に加へたる暴行は鬼神をも震駭せしむるものあり。宜しく一個の紀念館を建設し、絵画彫刻を以て其実相を模写し、又一度其中に入れば触目驚心せしめ、以て教誠激励の資料となすべきなり。之?人館建設すべしとなす所の理由なり。
  其様式は巴里の紀念館に?ひ載長補短、市中形勝の地を撰定し、宏荘(壮)なる館を建設し、全国著名の芸術家を召集して描画彫刻せしめたる後開館し、実相を将来永久に伝へ、我々の蒙りたる大なる苦みを人の眼に染め付け、心に烙き付け、且つ之を保存するの方法を講ずべきなり。

南京地方法院主席検察官 陳光虞
中華民国三十五年二月
監印 襲敬鐘
使封 張殿桐

『日中戦争史資料8 南京事件1』 pp.142-146

 

参考資料

  • 『日中戦争史資料8 南京事件1』日中戦争史資料集編集委員会・洞富雄編、河出書房新社
    (昭和48年11月25日初版発行)