回想録など
軍務局長武藤章回想録
(1)(2)(3)

河辺虎四郎少将回想応答録

田中新一/支那事変記録
(1)(2)

下村定大将回顧応答録

佐々木到一少将私記 一月五日

第13師団 山田支隊 第五中隊長
角田栄一の回想



『軍務局長武藤章回想録』武藤章 (1)

 目下は満州国家建設の完成に専念し、対ソ軍備を完成し、これによって国防の安固を図らねばならぬ 時期に、もし支那に手を出してこの計画を支離滅裂にしてはならない。
 今や支那は昔の支那ではなく、国民党の革命は成就し、国家は統一せられ、国民の国家意識は覚醒している。日支全面 戦争になったならば支那は広大な領土を利用して大持久戦を行い、日本の力では屈服できない。日本は泥沼にはまった形となり、身動きが出来なくなる。日本の国力も軍事力も今貧弱である。日本は当分絶対に戦争を避けて、国力・軍事力の増大を図り、国防国策の完遂を期することが必要である。

笠原十九司『南京事件』P46〜47



『軍務局長武藤章回想録』武藤章 (2)

 支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈服する。この際は支那を屈服させて概して北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略態勢を強化することが必要で、廬溝橋事件はそれを実現するため、願ってもない好機の到来を示すものである。
 この事件は楽観を許さない。これに対処するには力を持ってする外に方法はない。それに北支は兵力を増派して、状況によっては機を失せず一撃を加える。これによってのみ時局の収拾ができるのである。

笠原十九司『南京事件』P47〜48



『軍務局長武藤章回想録』武藤章 (3)

 内地から新たに動員する部隊の集結を待って作戦を発起していたら、戦機を逸してしまう。今すぐ南京攻略の大命を出してもらえれば、方面 軍としては自前の兵力でなんとか南京は攻略できる。
 時機を失して追撃の手を緩めると、敵に立ち直る機会を与えることになる。そうすると南京攻略は難しくなる。幸い深手を蒙った上海派遣軍もおおむね元気を取り戻しつつあるし、新鋭の第十軍は破竹の進撃を目下抑えているところだ。

笠原十九司『南京事件』P76〜77



『河辺虎四郎少将回想応答録』 河辺虎四郎

 近衛首相、広田外相などは当時は軍に「オベッカ」を使っておった政府であるます。何事でも「軍はどういう風に思っておるか」というて心配する非常に勇気のない政府でありまして、軍は問うては事を決するというやり方で、政治的に全責任を負い、戦うも戦わざるも国家の大局の着眼からやっていこうというものはなかたことをつくづく思います。

笠原十九司『南京事件』P54



『支那事変記録』田中新一 (1)

 軍紀頽廃の根元は、召集兵にある。高年次招集者にある。召集の憲兵下士官などに唾棄するべき知能犯的軍紀破壊行為がある。現地依存の給養上の措置が誤って軍紀破壊の第一歩ともなる。すなわち地方民からの物資購買が徴発化し、略奪化し、暴行に転化するごときがそれである・・・・補給の停滞から第一線を飢餓欠乏状態に陥らしめることも軍紀破壊のもととなる。
 軍紀粛正の道はそれらの全局面にわたって施策せられなければならないが、当面 緊急の問題は、後方諸機関にある。後方諸機関の混乱は、動員編成上ならびに指揮系統上の見陥にももちろん起因するが、後方特設部隊の軍紀的乱脈が大問題である。
 軍事的無知、無規律、無責任、怠慢などおよそ国体行動の要素は皆無というべく、これをこのまま放置しておいては全軍規律を動揺せしめることにもなる。問題は制度や機構よりも人事的刷新にある。

笠原十九司『南京事件』P63



『支那事変記録』田中新一 (2)

 松井大将としては、南京攻略を切望す。目的は倒蒋・・・ただし、師団の現情では戦闘能力なかんずく攻撃能力に不足するものと、見あり。

 軍紀風紀の維持については、憂慮すべきもの多く、その原因の重大なるものは、指揮官各級ともに威力なきにあるといえる。軍再建に関する件----(1)情況上、整理可能なるに従って予後備兵の召集解除を行い、できるだけ速やかに平常の体制に移し、右による兵力の不足は、補充兵、新兵によって充足する。(2)下士官の精違整理をおこない、かつ徹底せる短期再教育を行う。将校についても同断。右のほか、戦地教育の徹底を図る。

笠原十九司『南京事件』P63〜64



『下村定大将回顧応答録』下村定

 この軍(中支那方面軍)は、上海付近の敵を掃滅するを任務とし、かつ同地を南京方面 より孤立せしむることを主眼として編組せられておりまする関係上、その推進力には相当制限がございますのみならず、目下その前線部隊はその輜重はもとより砲兵のごとき戦列部隊すらなお遠く後方にあるもの少なくございません。したがって一挙ただちに南京に到達し得べしとは考えておりませぬ 。
 この場合、方面軍はその航空隊をもって海軍航空兵力と協力して南京その他の要地を爆撃し、かつ絶えず進撃の気勢をしめして敵の戦意を消磨せしむることと存じます。統帥部といたしましては、今後の状況いかんにより該方面 軍をして新たなる準備態勢を整え、南京その他を攻撃せしむることをも考慮いたしております。

笠原十九司『南京事件』P67〜68



『佐々木到一少将私記』佐々木到一

 この日、我が支隊の作戦地城内に遺棄された敵屍は一万数千に上がりその外、装甲車が江上に撃滅した者ならびに各部隊の捕虜を合算すれば、我が支隊のみにて二万以上の敵は解決されているはずである(中略)

 午後二時ごろ、概して掃討を終わって背後を安全にし、部隊を纏(まと)めつつ前進、和平門にいたる。
 その午後、捕虜続々登校しきたり数銭に達す、月光セル兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮す。多数戦友の流血と十日間の辛酸を顧みれば、兵隊ならずとも{皆やってしまえ}と言いたくなる。
 白米はもはや一粒もなし、城内には有るだろうが,捕虜に食わせるものの持ち合わせなんかわが軍には無い筈だ。

笠原十九司『南京事件』P53〜54

〔一月五日〕
 査問会打ち切り、この日までに城内より摘出せし敗兵約二千、旧外交部に収容、外国宣教師の手中にありし支那傷病兵を捕虜として収容。
 城外近郊にあって不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関において処分せるもの数千に達す。

笠原十九司『南京事件』P206



角田栄一の回想
第13師団 山田支隊 第五中隊長

 私たち百二十人で幕府山に向かったが、細い月が出ており、その月明かりのなかにものすごい大軍の黒い影が・・・・。私はすぐ“戦闘になったら全滅だな”と感じました。どうせ死ぬ のならと度胸を決め、私は道路にすわってたばこに火をつけた。(中略)

 ところが近づいてきた彼らに機関銃を発射したとたん、みんな手をあげて降参してしまったです。すでに戦意を失っていた彼らだったのです。
『南京戦史』より

笠原十九司『南京事件』P184