詳報・命令等

『臨参命第七三号』

『大陸命第八号』
 37年12月1日

『第十六師団 状況報告』
 37年12月24日

『南京城の攻略及び
入城に関する注意事項』

『投降勧告文』
 37年12月9日

『集団命令(丁集作命甲号外)』
12月13日 午前8時30分
第10軍柳川兵助中将より

『南京城内掃蕩要項』
上海派遣軍 第9師団
歩兵第六旅団長 秋山善兌少将より

『第114師団第66連隊
第一大隊 戦闘詳報』

   〔12月12日午後七時ごろ〕
   〔12日夜〕   
   〔13日午後2時〕
   〔13日夕方〕

『第16師団
 歩兵第33連隊 戦闘詳報』

『南京遡行作戦経過概要』
 第一掃海隊

『国崎支隊 歩兵第41連隊
 第12中隊 戦闘詳報』

『命令 12月15日』
 第9師団 歩兵第7連隊



臨参命第七三号

 上海派遣軍司令官は、海軍と協力して上海付近の敵を掃滅し、上海ならびに北方地区の要線を占領し、帝国臣民を保護すべし。

笠原十九司『南京事件』P50



大陸命第八号 37年12月1日

中支那方面軍司令官は、海軍と協力して敵首都南京を攻略すべし

笠原十九司『南京事件』P77



第十六師団 状況報告 12月24日

 今次作戦間、兵馬の給養は現地物資を持ってこれに充つるの主義を採り、もって迅速なる機動に応ぜんと企図せしが、幸いに富裕なる資源により、おおむね良好なる給養を実施し得たり

笠原十九司『南京事件』P93



南京城の攻略及び入城に関する注意事項

一、皇軍が外国の首都に入城するは有史以来の盛事にして、永く竹帛に垂るべき実績たりと世界のひとしく注目しある大事件なるに鑑み、正々堂々、将来の模範たるべき心組みをもって各部隊の乱入、友軍の相撃、不法行為など絶対に無からしむをようす。

一、部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし、支那軍民をして皇軍の威風に敬仰帰服せしめ、苟も名誉を毀 損するがごとき行為の絶無を期するを要す。

一、入城部隊は、師団長が特に選抜せる者にして、あらかじめ注意事項、特に城内外国権益の位 置等を徹底せしめ、絶対に過誤のなきを期し、要すれば歩哨を配置す。

一、略奪行為をなし、また不注意といえども火を失する者は、厳罰に処する。軍隊と同時に多数の憲兵、補助憲兵を入城せしめ、不法行為を摘発せしむ。

笠原十九司『南京事件』P117〜118



投降勧告文 37年12月9日

 日軍は抵抗者に対してはきわめて峻烈にし寛恕せざるも、無辜の民衆および敵意なき中国軍隊に対しては寛大をもってし、これを犯さず。

笠原十九司『南京事件』P121



集団命令(丁集作命甲号外)
12月13日 午前8時30分 第10軍柳川兵助中将より

一、〔丁〕集団は南京城内の敵を殲滅せんとす

一、各兵団は城内に対し砲撃はもとより、あらゆる手段を尽くし敵を殲滅すべし、これがため要すれば城内を焼却し、残敵の欺瞞行為に乗せられざるを要す。

笠原十九司『南京事件』P143



南京城内掃蕩要項
上海派遣軍 第9師団 歩兵第六旅団長秋山善兌少将より

一、潰走せる敵は、大部ぶん便衣に化せる者と判断させるるをもって、その疑いある者はことごとくこれを検挙し適宣の位 置に監禁す

一、壮年は全て敗残兵又は便衣兵と見なし、全てこれを逮捕監禁すべし

笠原十九司『南京事件』P144



第114師団 第66連隊 第一大隊戦闘詳報

〔12月12日午後七時ごろ〕
 最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果 大にしてその結果、我が軍の犠牲をすくなからしめたるものなり。捕虜は鉄道線路上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般 に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。

〔12日夜〕
 捕虜は第四中隊警備地区内洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜二十名を使役し、徴発米を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、食に飢えたる彼らは争って貪食せり。

〔13日午後2時〕
 連隊長より左の命令を受く。旅団命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何。

〔13日夕方〕
 各中隊長を集め捕虜の処分につき意見の交換をなさしめたる結果、各中隊に等分に分配し、監禁室より五十名宛連れだし、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地西南方凹地、第四中隊は路営地東南方谷地付近において刺殺せしむることとせり。各隊ともに午後五時準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
 捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視のさいは各所にその声おこれり。

笠原十九司『南京事件』P156〜157



第16師団 歩兵第33連隊戦闘詳報

 午後二時三十分、前衛の先頭下関に達し、前面の敵情を探索せし結果、揚子江上には無数の敗残兵、船筏その他あらゆる浮物を利用し、江を覆いて流下しつつあるを発見す。すなわち連隊は前衛および速射砲を江岸に展開し、江上の敵を猛射すること二時間、殲滅せし敵二千を下らざるものと判断す。

笠原十九司『南京事件』P158



南京遡行作戦経過概要 第一掃海隊

〔烏龍山水道より南京下関まで(一二月一三日)〕
一三二三(一三時二三分、以下同じ)前衛部隊出港、北岸揚子江陣地を砲撃制圧しつつ閉塞戦を突破、沿岸一帯の敵大部隊および江上を船艇および筏などによる敗走中の敵を猛攻撃、全滅せる者約一万に達し・・・・・一五三〇頃下関付近に折から城外進出の陸軍部隊に協力、江岸の残兵を銃砲撃しつつ梅子州付近まで進出し、掃海索を揚収す・・・・終夜江上の敗残兵の掃討をおこないたり。

笠原十九司『南京事件』P159



国崎支隊 歩兵第41連隊 第12中隊 戦闘詳報

「江興州敗残兵掃討に関する戦闘詳報」
中隊長の計画は図に当たり、午後七時三十分より続々兵器を持参し白旗を掲げて我が第一戦に投降す。中隊長は兵器と捕虜を区分しこれが整理をおこなえり。
 これより先にした支隊長に捕虜の処分、兵器の処置の指示を受けしに、武装解除の後は中隊と共に、捕虜は後刻処置するをもってそれまで同島において自活せしめようとの命あり。(中略)捕虜二千三百五十人。

笠原十九司『南京事件』P161〜162



命令 12月15日 第9師団 歩兵第7連隊

 連隊は明16日全力を難民地区に指向し、徹底的に敗残兵を捕捉殲滅せんとす。
 各大隊は明一六日早朝よりその担任する掃蕩地区内の掃蕩、特に難民地区掃蕩を続行すべし。

笠原十九司『南京事件』P180