ティンパーリ『戦争とは何か』出版経緯
 

『外国人の見た日本軍の暴行』 原序

 昨年十二月日本軍は南京攻略に際し中国の無辜の良民に対して虐殺、強姦、掠奪等総ゆる暴行を加へた。余は一新聞記者としての職責から見聞した日本軍の暴行記事をマンチエスターガーデイアンに打電しようと思つたが、料らずも上海の日本側電報検閲員の報告により「内容が誇張に過ぎる」とされて発電を差止められ、その後屡次の交渉にも拘らず総ては不得要領に終つて仕舞つた。そこで余はその文件証拠の蒐集を決意し、余の打電した電報の真実なることを証明することとした。かくして余は最も信頼すべき方面より幾多の確実なる証拠を収集したが、それと同時に事態の悲惨さが全く我々の想像外にあつたことを知るにつれて余はこれ等の証拠を全世界に公表すべき必要を感じた。これが余の本書を著述した原因にして経過である。
  先に述べた所によつても判る通り本書の出版は全く余個人の意志であつて幾人かの友人が材料の整理選択に当つて余を援助されたとは言へその責任は余一個人にある。本書に引用した文件は総て余自身が種々の苦心を払ひ関係者に懇願して借用したものである。
  更に明瞭にして置かねばならないことは本書の目標が決して日本人に対する仇敵視挑発のためではないことである。余自身幾多の日本の友人を持つて居り、また非常に彼等を尊敬してゐる。否寧ろ余は彼等を賛揚したいとさへ思つてゐる。その中の一人は重要な役人であり、他の一人は普通の一般人であるが、その情操才智は極めて高邁で仲々得難い人々っである。彼等は上海に住んで居り、人道的事業遂行について彼等と接触したことは一度に止らなかつた。彼等は非常に困難な環境下にあつて余に対し同情的な合作と友誼を与へた。余は心からの感謝を表明せざるを得ない。また余は日本軍の一将校に対しても敬意を払つてゐる。昨年九月初旬、日本機による松江附近難民列車爆撃により無辜の良民が遭遇したが、当時この日本将校は個人の資格に於て余に遺憾の意を表した。これ等の人々は実に貴重且つ尊敬すべき人達である。何故ならば現在の情況の下に於て万一その真情を他人に暴露するならば自らの身を殺す禍を招き且つは国民にも捨てゝ顧られぬ危険があつたからである。
  要言すれば、本書の目標は日本軍が如何に中国の民衆を取扱つたかと言ふ事実を全世界に知らしめ努めて真相の把握に努力して偏見なしに読者をして戦争の悲惨なる現実を明白に認識せしめ、且つ戦争の虚偽の魔力を剥奪することにある。特に後者は勲功を喜ぶ軍罰の忘れ得ぬ魔力である。
  如何なる戦争に於ても交戦双方に各々相異る宣伝方法があるが、「暴行録」と言つた類のもの程読者の興味を惹くものはあるまい。本書に載録した記録、報告、文件は多いが、その中重要なものは総て絶対に信頼し得べき第三者の提供したものに限り、また個人的書信類も純然たる個人的書信並に友人関係の通信を除いた原文の抄録を採用し、その真実性保持に努めた。便宜上並に個人的支障を避けるため差出人及び報告者の姓名は大部分省略することゝした。但し附録四の文件は全文を引用し、また書信類及び文件の原文、復写は総て余自身眼を通じて保存することゝし、写真およびその他の文献証拠は再検に備へた。
  謹みて本書を全世界の和平維持、戦争の恐怖除去のため奮闘する人士に献ずると共に余を援助して本書を完成せしめた友人諸君に感謝の意を表する次第である。
一九三八年三月二十三日 テインパーリイ 於上海

ティンバーリー『復刻版 外国人の見た日本軍の暴行』(龍渓書舎)P1



『外国人の見た日本軍の暴行』 訳者言

 日本帝国主義軍隊は飛行機、大砲、毒瓦斯、タンク等の近代的殺人武器の暴力を発揮する外、大規模の虐殺、放火、強姦、掠奪等種々の残酷野蛮なる非人道的手段によつて我々の人力、物力を破壊、摧毀消滅せんとした、日本帝国主義軍隊の一切の暴行は決して偶然、或は例外の現象ではなく、寧ろ故意、普通的、計画的、組織的な行動である、本書の中の在華各中立国人士の観察、叙述によつても明白である。
  本書の著者ティンパーレイ氏は英国に於て最も声誉高き新聞記者の一人である。スペイン戦争勃発後、彼はマンチエスターガーデアンを代表してスペインに赴き、スペイン政府、軍隊、民衆の一致団結、フアツスト侵略勢力防禦の英勇的闘争を忠実に、確実に、同情的に報道し、多くの読者の賛揚する所となつた、日本帝国主義の中国侵略戦争勃発を見るや、マンチエスターガーデアンは極東は二十年近くの長期の経験と極東の情勢に詳しい彼を中国に派遣し戦局を観察せしめた。
  テインパーレイ氏は正義、公理、世界和平、人類文明愛護の立場から、極東中国大陸に展開された暗黒の光明なき気違ひじみた一幕を報道した。日本帝国主義者は当然之を非常な不利とみて各方面からその牽制、干渉、阻止を図り、特に我国軍の上海撤退以降、この趨勢は強くなつた。日本帝国主義者は一方に於て国外に対し虚偽荒唐な宣伝を行ふと共に他方に於ては暴力の許す範囲内に於て、種々の方法によつて公正忠実な報道を防遏し、世界の耳目掩蔽に努めた、シカシ之は失敗した。「外国人の見た日本軍の暴行」(What wor means the Japanese Atrociies in China)の出版は実に有力な反撃である。
  訳者は上海にゐた当時テインパーレイ氏が数多の貴重な資料を蒐集し、本書を著述して帰国の上出版する計画のあることを知つた。そこで彼の離滬以前にテ氏に対し図書の翻訳権譲渡方を依頼し、原稿の写本を得た。日夜打通して翻訳を急ぎ、原書の出版と同時期に上梓し得る様努力した。出版は恰も我国全面抗戦一周年に当つた。誠に一種の好遇と言わざるを得ない。また意義ある一種の紀念である。
  本書に挿入した写真は訳者が各方面より蒐集したもので原著者の責任ではない。またこの中国語版は出版を急いだ関係上英国版を参考とする暇なく、或は誤訳の箇処もあるかと思はれるが、これは全く訳者の責任である。
  訳者は受難の同胞に替り本書の原著者に対し、また国際友人に対し敬意を表する。
  最後に読者にお願いすることは、我々はこの受難同胞のため、侮辱蹂躙を受けた父母妻子兄弟姉妹のため復仇せねばならないことである。
一九三八年六月二十五日

ティンバーリイ『復刻版 外国人の見た日本軍の暴行』(龍渓書舎)P9-10



「ティンパーリー」(『近代来華外国人名辞典』中国社会科学院近代史研究所翻訳室編、中国社会科学出版、1981年)

Timperley, Harold John 1898−田伯烈、オーストラリア人、第一次大戦後来華、ロイター社駐北京記者、後マンチェスター・ガーディアン及びUP駐北京記者。一九三七年盧溝橋事件後、国民党政府により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した

北村稔『「南京事件」の探求』(文藝春秋)P32



ティンパーレーの死亡記事(『ザ・タイムズ』『マンチェスター・ガーディアン』一九五四年十一月二十九日付)

ハロルド・ジョン・ティンパーレー氏は、一九二八年から三八年までマンチェスター・ガーディアンの特派員をつとめ、その後は中国情報省(Chinese Ministry of Information)で顧問(adviser)をしていたが、金曜日、サセックスの病院で亡くなった。
  彼はオーストラリアのパースで生れ、人生の半分を極東で暮らした。一九三八年『戦争とは何か』という本を出版したが、これは日本人が中国人に与えた残虐な行為を報告した内容だった。一九四三年から七年間にわたって彼は国際連合に関する仕事をやり、一九五〇年、ユネスコに属して、インドネシア外務省で、若い外交官たちの訓練者となった。間もなく、病気のためロンドンに帰り、晩年はフレンド教会のメンバーになっていた

鈴木明『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)P294-295



『曾虚白自伝 上』(聯経出版、1988年)P200-201

 ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』に参加していた三人の重要人物のうちの一人であった。オーストラリア人である。そういうわけで彼が〔南京から〕上海に到着すると、我々は直ちに彼と連絡をとった。そして彼に香港から飛行機で漢口〔南京陥落直後の国民政府所在地〕に来てもらい、直接に会って全てを相談した。我々は秘密裏に長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網計画を決定した。我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔をだすべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばらないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。〔中略〕このあとティンパーリーはそのとおりにやり、〔中略〕二つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した。

北村稔『「南京事件」の探求』(文春新書)P43



中央宣伝部国際宣伝処工作概況 一九三八年〜一九四一年四月〔民国二十七年〜三十年四月〕

※(「対敵課工作概況」「(一)対敵宣伝本の編集製作」)
1、単行本
  本処〔国際宣伝処〕が編集印刷した対敵宣伝書籍は次の二種類である。
A『外人目睹中之日軍暴行』〔=『戦争とは何か』〕
  この本は英国の名記者田伯烈(ティンパーリ)が著した。内容は、敵軍が一九三七年十二月十三日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、略奪、要するに極悪非道の行為に触れ、軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している。この本は中国語、英語で出版したほか、日本語にも翻訳した。日本語版では書名を『戦争とは?』〔『所謂戦争〕と改めている。日本語版の冒頭には、日本の反戦作家、青山和夫の序文があり、なかに暴行の写真が多数ある。本書は香港、上海、および海外各地で広く売られ、そののち敵の大本営参謀長閑院宮が日本軍将兵に告ぐる書を発し〈皇軍〉のシナにおける国辱的な行為を認め、訓戒しようとした。
B『神の子孫は中国に在り』〔神明的子孫在中国〕
  本書はイタリア人范思伯(ファンスボー)の著書で、敵の諜報機関が東北三省において財産の略奪と、わが同胞を蹂躙する内幕、またわが東北義勇軍の勇敢なる敵殲滅の状況を多く記述している。本書は最も有力な対敵宣伝書であった、敵の軍閥が国民を騙すやり方を暴露し、東北の同胞が敵の統治下で圧迫されている様子を描いている。中国語版、英語版のほかに、日本語にも翻訳した。表紙に『戦後施策と陸軍の動向』と印刷し、敵方の検査をかいくぐって日本内部へ運び込んだ。

東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』P60-61

 

中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告

われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した。その後彼が書いた『日軍暴行紀実』とスマイスの『南京戦禍写真』の二冊は、大いにはやりベストセラーになって宣伝目的を達成した

井上久士「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」P247-248(笠原十九司・吉田裕編『現代歴史学と南京事件』(柏書房、2006年))
 



参考資料

  • 『外国人の見た日本軍の暴行』ティン・バーリィ、竜渓書舎
    (1972年)
  • 『新「南京大虐殺」のまぼろし』鈴木明、飛鳥新社
    (1999年6月)
  • 『「南京事件」の探究 : その実像をもとめて』北村稔、文藝春秋
    (2001年11月)
  • 『現代歴史学と南京事件』笠原十九司・吉田裕、柏書房
    (2006年3月)
  • 『南京事件 : 国民党極秘文書から読み解く』東中野修道、草思社
    (2006年5月)