南京の人口>国際安全区委員会文書

国際安全区委員会文書
第6号文書 (37/12/17)
第7号文書 (37/12/18)
第9号文書 (37/12/21)
第14号文書 (37/12/27)
第19号文書 (38/1/14)


第22号文書 (38/1/17)
第23号文書 (38/1/18)
第24号文書 (38/1/19)
第26号文書 (38/1/28)
南京日本大使館宛書簡 (37/12/16)



●国際安全区委員会文書

第六号文書

南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三七年十二月十七日

南京日本帝国大使館 御中
日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う
(略)
もし市内の日本兵のあいだでただちに秩序が回復されないならば、二〇万の中国人市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(略)
委員長 ジョン・ラーベ

(ティンパーレー『戦争とは何か・中国における日本軍の暴虐』 付録D:安全区委員会と日本当局との公信より)

『日中戦争史資料9』 P128




第七号文書

南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三七年十二月十八日

南京日本帝国大使館 御中
日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う
(略)
当方の補助食料委員ソーン氏(Mr.Sone)(神学教授)は、彼の南京神学院に家族づれで避難していた二五〇〇名の難民をおいて、トラックで米を運ばねばなりませんでした。昨日の白昼、神学院にいた数人の女性が、女・子供で満員の大きな部屋の真中で強姦されたのです!わたわれ二二名の西洋人だけで、二〇万の中国市民に給食し、かつ日夜彼らを保護することはできません。
(略)
委員長 ジョン・H・D・ラーベ

『日中戦争史資料9』 P129-130




第九号文書

中国、南京
一九三七年十二月二十一日
南京日本帝国大使館 御中

拝啓
私たちは人道の名のもとに、南京二〇万市民の福祉のために以下の措置がとられるよう嘆願致します。
(略)
3 略奪と放火によって、市の経済活動が停止するにいたり、その結果、全市が一つの広大な避難民収容所と化したという事実を考え、また、国際委員会が二〇万市民に配給する食糧はあとわずか一週間分しかないという事実を考えれば、市民生活の正常な状態を回復する諸措置を直ちに取って頂き、市内の食料と燃料の配給が再び十分に行き渡るようにすることを心から希望致します。
(略)
南京在住外国人一同(二二名の外国人による署名)

(ティンパーレー「戦争とは何か・中国における日本軍の暴虐」 付録D:安全区委員会と日本当局との公信より )

『日中戦争史資料9』 P134




第十四号文書

南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三七年十二月二十七日

南京日本帝国大使館 御中
福井氏の配慮を乞う
(略)
十二月十五日正午の会見で、この手紙に対する回答として、貴軍特務機関長は、既に輸送した一万担の米は自由に使用してよいこと、そして他の倉庫にかんしてはその場所を調査し警備にあたる旨を述べたのでした。今日にいたるまで、われわれは市の他の場所へトラックを運行させて貯蔵米を確保する許可を得ておりません。中国軍は一〇万担の米(当方の三万担とは別 に)を南京郊外に保管しておりましたが、その大部分は南京占領のさい貴軍の手中に落ちました。それで、二〇万市民を養うために、前記二万担の米をわれわれが確保することを、許していただけるようお願い致します。
(略)
委員長 ジョン・H・D・ラーベ

(ティンパーレー『戦争とは何か・中国における日本軍の暴虐』 付録D:安全区委員会と日本当局との公信より)

『日中戦争史資料9』 P138




第十九号文書
<同一資料>

南京、寧海路五号
一九三八年一月十四日

南京日本大使館 福田篤泰殿
(略)
 貴下が登記した市民は一六万人と思いますが、それは十歳以下の子供は含まれていないし、いくつかの地区では、年とった婦人も含まれていません。ですから、当市の総人口は多分二五万から三〇万だと思います。これだけの人口を普通並の米の量で養うとすれば、一日に二〇〇〇担の米(あるいは一日に一六〇〇袋)が必要となるでしょう。このことから、貴下が提案した三日ごとの一〇〇〇袋というのは、必要な量の三分の一にも足らないことが明らかです。
(略)
南京安全区委員会委員長 ジョン・H・D・ラーベ

(ティンパーレー『戦争とは何か・中国における日本軍の暴虐』 付録D:安全区委員会と日本当局との公信より)

『日中戦争史資料9』 P143




第二十二号文書

南京安全区委員会
寧海路五号
一九三八年一月十七日

南京日本帝国大使館御中
福井氏の配慮を乞う
(略)
追伸 今朝この手紙を書いたのですが、その後、昼になって、(1)の点に関しては、日本軍当局が自治委員会に対して米一〇〇〇袋を割当てたこと、その引き渡しが今朝始まったことを知りました。この量 が早急に一日米一〇〇〇袋に増量されて、二五万人の需要をもっとよく満たすことができるようになるものと信じます。
J・R

(ティンパーレー『戦争とは何か・中国における日本軍の暴虐』 付録D:安全区委員会と日本当局との公信より)

『日中戦争史資料9』 P145




第二十三号文書

ボイントン氏 上海全国キリスト教総会気付(Boynton,National Christian Council Shanghai)

 住民に定期的に配給できず、食料問題さらに重大化す。十二月十三日以来、二五万人に対し、在庫多量なるもわずか米二二〇〇袋、小麦粉一〇〇〇袋を、売却用として放出せるのみ。
(略)
フィッチ 一九三八年一月十八日午後三時

『日中戦争史資料9』 P146




第二十四号文書

一九三八年一月十九日
南京
 アメリカ大使館 アリソン殿
 イギリス大使館 プリドー=ブリュン殿
 ドイツ大使館 ローゼン博士殿

 拝啓
 あなた方は、当市二五万市民に食をあたえるという問題について、それぞれあたたかい関心を寄せてくださいました。
(略)
(1)ほぼ一日あたり二〇〇〇担(一六〇〇袋)の米か同量の小麦粉を定期的に配給する。(大人一〇〇人の一日の普通の消費量を一〇担として、二五万人では二五〇〇担になる。しかし、幼児は一日にそれほどは必要としないであろう。)
(略)
南京安全区国際委員会委員長
ジョン・H・D・ラーベ

『日中戦争史資料9』 P146-147




第二十六号文書

南京安全区国際委員会
寧海路五号
一九三八年一月二十八日

南京イギリス大使館 H・プリドー=ブリュン殿
(略)
 南京の二五万難民のうちほとんどが、南京市内と近郊で起きた広域にわたる放火のために家を失いました。そして一家の働き手が連行されたり殺されたりして、赤貧に陥っている家族が幾千と言わないまでも、幾百とあります。
(略)
 当委員会が救援のためにもっている資金は当然のことながら非常に不十分であります。南京市内に当方の手持ち分として一〇万ドルあり、さらに上海に五万七〇〇〇ドルあります。しかし、この一五万七〇〇〇ドルという金額をもってしても、現在市内にいる二五万人の難民を救うのには焼け石に水であります。
(略)
委員長 ジョン・H・D・ラーベ

『日中戦争史資料9』 P149




南京日本大使館宛書簡----十二月十六日

金陵大学、南京
一九三七年十二月十六日

 昨晩、本学の農業経済系の建物(小桃園)に何度も多人数で侵入した兵士によって三〇人の婦人が強姦された。私たちは、貴軍が軍事的優越性を示したからには道徳的にも優越性を示すだろうと信ずるものです。これら何万という平和的市民の生命および身体の安全が早急に必要となっているのです。

『南京事件資料集1 アメリカ関係資料』 P136

  

参考資料

  • 『日中戦争史資料 9 南京事件2』日中戦争史資料集編集委員会・洞富雄編、河出書房新社
    (昭和48年11月25日初版発行) 1973
  • 『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』南京事件調査研究会編訳、青木書店
    (第1版第1刷1992年10月15日発行)