戦 数

藤田久一
『新版 国際人道法 〔増補〕』有信堂高文社(2000年5月29日初版第2刷発行(増補
)P65

(1)戦数ないし戦時非常事由(Kriegsrason,Kriegsnotwendigkeit)の理論は一九世紀後半ドイツの学者により唱えられ、第一次世界大戦までドイツでは通説とされていたもので、その意味するところは、国家の緊急事態、すなわち、戦争の目的達成や重大な危険からの回避という事態において、戦数が戦争法に優先する、ということである。一般に、すべての法制度にはそれに内在する局限性、つまり緊急状態ないし必要状態がそれを破りうることを含んでいるともいわれ、国家緊急権(Staatsnotrecht,Emergency Power)という言葉もある(小林直樹『国家緊急権』学陽書房、一九七九年参照)。国際法においても、重大な危険により脅かされる国家の本質的利益を守る他の手段のないとき、国際義務に反する国家行為の違法性が阻却される場合がありうるとも考えられる(ILC,Eighth Report State Responsibility by Roberto Ago ,A/CN.4/318/Add.5)。しかし、戦争法や人道法分野にこれを不用意に導人することはきわめて危険である。戦争や武力紛争の状態は、そもそも国家の重大な利益やその生存のかかった事態であるから、あらゆる戦争法、人道法の無視が、戦数を理由に正当化されてしまうからである。また、ドイツ流の戦数論を批判しつつ、戦数とは別のより狭い特別の軍事必要(Military Necessity)概念を認め、その場合にのみ戦争法侵犯を肯定する見解もある(たとえば、O`Brien,W.V.,"Legitimate Military Necessity in Nuclear War,"World Polity U[1960],P48参照)。 しかし、この軍事必要概念も戦数と実際上区別し難く、結局戦数論と選ぶところがなくなってしまうと思われる。そもそも、戦争法、人道法の諸規定は軍事必要により多くの行動がすでに許容される武力紛争という緊急状態においてなお遵守が要請されるものであるから、それらの規定は予め軍事必要を考慮に入れたうえ作成されている。したがって、条約規定中、とくに、「緊急な軍事上の必要がある場合」とか「軍事上の理由のため必要とされるとき」といった条項が挿人されている場合を除き、戦数や軍事必要を理由にそれらを破ることは許されない。このいわば戦数否定論は、ユス・コーゲンス的色彩の濃い人道法の性質に照らしても、またジュネーブ条約の規定や米英の軍事提要の動向(The Law of Land Warfare,FM27-10[1956] sec3.; The Law of War on land,The War Office [1958],sec.633) からみても正当であるといえよう。