戦数肯定論
【 リューダー(Lueder)】

 "Holtzendorff, Handbuch des V<o>lkerrechts,4"(1889),pp235-
 同様に、戦数が緊急的事態の発生の際に、正當化されることも否定することは出來ない。個人の場含にすら緊急状態が彼の爲す重大な侵害行爲を不可罰のものとするならば、より多くの利益が賭せられて居る戦争に於いては、尚更左様でなくてはならない。故に戦争目的の達成及び重大危険からの回避が戦争法の障壁によつて妨げられ、戦争法の障壁を破ることによつてのみ戦争目的が達せられ、又重大危険が避けられ得るが如き事情の下に於いては、戦争法の障壁を破ることは許される。……勿論かゝる衝突(戦争上の必要と戦争法との)は甚だ例外的にのみ発生するであらう。何となれば戦争法の規則は、恒常行はれる慣習と善く衡量された條約とによつて、原則として遵守され得るやうに作られて居るからである。此等の規則は、通常発生する事実関係の上に打建てられて在ること、恰も國内公法及び私法と同じく、從つて同様に特別の例外的状態のみが遵守を不可能ならしめる。……故に戦数が頻繁に軽々しく勝手氣儘に適用せられ、実際上の使用について戦争法と同一線に立つが如く見なされることは、本來有り得ベからざることである。【102】只例外的にのみ起ることであり、從つて戦数を許すことは元より危険視さるべきことではない。併し一旦例外が発生した時其の例外たる性質に基き原則を排除して、戦数は戦争法に優先する。
 戦争法の恒常的有効性は、斯く単に例外的にのみ可能なる戦数の登場によつて保たれる。若し人あつて、戦数が非常の緊急且つ例外的に認めらるべく、且つ認められざるを得ないことを理由として、「結局拘束力ある戦争法なるものなし、何となれば、戦争法は戦略的必要との衝突と言ふ正に重要な場面に於いて遵守さるることを要せざるものなればなり、故に戦争法なるもの無く、只(法的拘束力なき)戦争の習はし(Kriegsgebrauch)なるもの有るのみ」と稱するならば、其れは所謂的を超えて射るものであり、総ての法的制度及び総ての法規に内在する局限と言ふものを如らないものである。戦数の戦争法に對する関係は、緊急状態の刑法に對する関係に等しい。人は、右の議論と同程度の正しさを以つて、結局刑法なるものなし、何となれば其の規定は緊急状態の場合に遵守さるることを要せざればなり、と言ひ得るであらう。一が誤りならば他も亦誤りなることは明白となるであらう」(二五五-二五六頁)

田岡良一『戦争法の基本問題』P101-102


 個人の場合にさえ、緊急状態は、彼のなす重大な侵害行為を罰せられないものとする。そうとすれば、より重大な国家的利益が賭けられている戦争法においてはなおさらそうでなくてはならぬ 。もし戦争目的の達成、および重大な危険からの回避が、戦争法の障壁によって妨げられ、その障壁を破ることによってのみ戦争目的は達せられ、また重大な危険は避けられるような事情が生じた場合には、戦争法の障壁を破ることは許される。……もちろんこういう衝突(交戦国の戦争遂行上の必要と戦争法との)はごく例外的にのみ生ずるものである。なんとならば、戦争法の諸規則は、戦時に通常行われる慣習と、充分に考慮された条約によって、原則として交戦国によって尊守されうるように作られているからである。これらの規則が通常発生する事実関係の上にうちたてられてあることは、あたかも国内公法および私法と同様であり、従ってこれらの国内法と同様に、特別の例外的事態のみが尊守を不可能ならしめる。……故に戦数の適用はただ例外的にのみ発生することであり、戦数を許すことは危険視さるべきではない。しかし一旦例外が発生したときは、その例外としての性質に基づいて原則を排除し、戦数が戦争法に優先する(Die Kriegsraison geht der Kriegsmanier vor)。
 戦争法のノーマルな効力は戦数を認めることによって保たれる。もし戦数の認められることを理由として『戦争法は結局拘束力のないものである。なんとなれば戦争法は、戦略的必要との衝突という正に重要な場面において尊守されなくてもよいものだからである』と称する人があるならば、それは全ての法的制度および全ての法規に内在する局限性を知らないものである。戦数の戦争法に対する関係は、緊急状態が刑法に対して持つ関係に等しい。人は右のような説と同程度の正しさをもって『結局拘束力のある刑法なるものはない。なんとならば、刑法の規定は緊急状態の場合に尊守されることを要しないものだからである』と言いうるであろう。この説が誤りならば、前の説もまた誤りなることは明白である。

田岡良一『法律学全集57 国際法3(新版)』P332-333