戦数否定論に対する批判
【 田岡良一 】

 しからば第二説、すなわち戦数否定論を正しいとみなすべきか。この説は、上に引用した形においては、法規解釈論として論理的に間然するところがないように見える。しかしこの説を唱える学者がその著書論文において個々の戦争法規を解説する個所を読むときには、しばしば軍事的必要条項を含まない規範、すなわち彼らの説によれば絶対的命令と解されねばならないはずの規範を、軍事的必要によって破ることができると説いているのを発見する。
 例えばハーグ陸戦条規第二三条(ニ)号「no quarter」を宣言することの禁止(投降者不助命を宣言することの禁止)、何人も知るように「軍事的必要条項」を含んでいない。
 しかるにウェストレークの戦時国際法によれば、
 「この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。このとき投降者を収容するために軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止すれば、勝利の達成は妨害せられ、時として危くされるであろう。のみならず戦闘の継続中には、捕虜をして再び敵軍に復帰せしめないように拘束することが実行不可能な場合が多い」。
 この言葉は、戦争法に遵って行動しては勝利の獲得が困難な場合には、法を離れて行動することを許すものではあるまいか。戦争法が戦術的または戦略的目的の達成を妨げる障壁をなす場合には、法の障壁を乗り越えることを許すものではあるまいか。
 またオッペンハイム国際法の戦時の部にも
 「投降者の助命は、次の場合に拒否しても差支えない、第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において(in case of imperative necessity)すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危くされる場合においてである」という一句がある。但しオッペンハイムの死後の版(第四版)の校訂者マックネーアは、第三の緊急必要の場合云々を削り去り、その後の版もこれに倣っている。恐らく校訂者は、この一句が戦数についてオッペンハイムの論ずるところと両立しないと認めたからであろう。両立しないことは確かである。しかし陸戦条規第二三条(ニ)号の解釈としては、右のオッペンハイムおよびウェストレークの見解が正しいことは疑いを容れない。この見解は多数の戦争法研究者によって支持されるところであり、戦数を肯定する嫌いのあるドイツ学者の説の引用を避けて、ただイギリスの学者の説のみをたずねても、戦争法の権威スペートはその陸戦法に関する名著「陸上における交戦権」のなかに、投降者の助命が戦時の実際において行われ難く、かつその止むを得ない場合があることを論じ、また投降を許して収容した捕虜さえも、軍の行動の必要によって皆殺するの止むえぬ場合があることは、ローレンスが、一七九九年ナポレオン軍によるトルコ・ジャッファ守備隊四千人の皆殺の例を引いて説くところである。故にもしオッペンハイムの死後版の校訂者(マックネーア、ローターパクト)が考えるように、オッペンハイムの戦数論と陸戦条規第二三条の解釈とが両立しないものであるならば、後者を削除するよりも、寧ろ前者に向って反省を加える必要があるように思われる。
 要するにこれらの学者は、戦数を論ずる個所においては、戦数否定論を唱えながら、個々の戦争法規の解釈に当っては戦数を是認しているのである。何故にこういう矛盾が生じたか、その理由を探求することによって戦数論に対する解決の正しい鍵は得られると思う。

田岡良一『法律学全集57 国際法3(新版)』P346-348