起訴状付属書A(極東国際軍事裁判所判決文付属書A-6起訴状付属書A)

〈説明〉

本資料は、極東国際軍事裁判所判決文の付属書A6起訴状の付属書Aを文字起ししたものである。原典は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている「極東国際軍事裁判所判決〔第7冊〕付属書Aノ部」に所収されている。
掲載するにあたり、適宜、カタカナを平仮名に、旧漢字を新漢字に直した他は原典を再現している。文中の「(E-数字)」は、英文判決文のページ数に対応する。


〈目次〉


〈本文〉

(E-62)

附属書A

 検察当局が本起訴状第一類中に含まれたる数個の訴因の支持のため依拠せんとする主要なる事実及び出来事を表示せる要約的細目

第一節 満州に於ける軍事的侵略

 一九二八年⦅昭和三年⦆一月一日以来一部民間人の支援の下に満州に於て事件を惹き起さんとする策謀が日本国陸軍殊に関東軍に存したり右事件は後に中華民国の他の部分に、「ソビエツト」社会主義共和国聯邦の領土に、而して遂には一層広汎なる地域に拡大せられ、日本を世界に於ける支配的強国たらしむることを目的とせる制覇企図の第一歩として日本の為め該地を征服し占領し開発利用する口実をなすべきものたりしなり

 右策謀の実行過程に於ける主要なる出来事左の如し

  一九三一年⦅昭和六年⦆九月十八日頃、長期に亘る勢力滲透並に其の結果たる衝突の後日本国軍隊は南満州鉄道の一部を爆破し中華民国軍隊に於て右爆破を行ひしものの如く誣ひ之を武力攻撃し次で逐次且急速に遼寧、吉林、黒竜江及び熱河の中華民国諸省(東北諸省)の軍事占領を遂行せり

  一九三二年⦅昭和七年⦆一月三日頃日本国軍隊は、一九三一年⦅昭和六年⦆十一月二十四日日本国外務省が「アメリカ」合衆国に対して占領せざる旨の誓約を与へたるに拘らず、錦州を占領せり

(E-63)
  一九三二年⦅昭和七年⦆一月十八日頃より日本国海軍は、後には陸軍も加わりて、上海に於ける中華民国人に武力攻撃を加へたり

 一九三二年⦅昭和七年⦆一月二十八、九日頃日本は午前十二時十五分閘北を爆撃せり

 一九三二年⦅昭和七年⦆二月一日頃日本国軍艦数隻は南京を砲撃せり

 一九三二年⦅昭和七年⦆中に於て日本は前記東北諸省に別個の傀儡政権を樹立し一九三二年⦅昭和七年⦆九月十五日に至り正式に之を承認せり

 一九三一年⦅昭和六年⦆十二月十三日に政権を掌握したる日本国政府及び其の後の凡ての日本国政府は本侵略及び中華民国の他の部分に対する其の漸進的拡大を採用し支持し且継続したり

 日本は中華民国に対し何等宣戦の布告をなすことなく、平和的手段又は仲介若くは仲裁々判に依り其の主張する紛争なるものを解決せんとするいかなる努力もなすことなく、一九三二年⦅昭和七年⦆二月五日「アメリカ」合衆国、「グレート・ブリテン」国及び「フランス」国の為したる調停の申出を拒絶し、日本及び中華民国が其の一員たる国際聯盟の任命したる「リツトン」委員会の報告及び勧告又は聯盟の決議を採用することを拒否し、遂に一九三三年⦅昭和八年⦆三月二十七日聯盟を脱退したり

 一九三四年⦅昭和九年⦆四月十八日日本は日本以外の如何なる国による中華民国への干渉にも絶対反対なる旨声明せり

(E-64)
  一九三四年⦅昭和九年⦆三月一日日本は「ヘンリー」溥儀を所謂満州の名目上の主権者の地位に就かしめたり然れども一九四五年⦅昭和二十年⦆九月二日に至る迄日本の数多の強大なる軍は依然として此等の地域に駐在して之を其の後の侵略の根拠地として用ひ且日本の文官と共に満州国の政府、産業及び財政を全面的に支配し続けたり

第二節 中華民国の他の部分に於ける軍事的侵略

 中華民国に対する日本の侵略は一九三七年⦅昭和十二年⦆七月七日新なる段階に入りたり其の日日本国軍隊は長城以南の中華民国領土に侵入し、日本政府も亦右侵略を採用し、支持し且継続せり其後の日本国政府は孰れも同一政策を踏襲せり


 本段階に於ける其後の主要なる出来事は左の如し

 一九三七年⦅昭和十二年⦆九月十九日より二十五日に至る頃日本軍は南京及び廣東を爆撃し故意に多数の一般人を殺害せり

 一九三七年⦅昭和十二年⦆十二月十三日頃日本軍は南京を攻略し数万の一般人を殴殺し且其の他非道なる行為を行ひたり

 一九四〇年⦅昭和十五年⦆中に日本は当時日本の占領下にありたる中華民国の部分(前記東北四省以外)に『中華民国々民政府』なりと主張する別個の傀儡政権を樹立し一九四〇年⦅昭和十五年⦆十一月三十日頃正式に之を承認せり

(E-65)
  此度も亦日本は中華民国に対し何等宣戦の布告をなすことなく、平和的手段又は仲介若くは仲裁裁判に依り其の主張する紛争なるものを解決せんとするいかなる努力もなすことなく、一九三七年⦅昭和十二年⦆九月二十五日には国際聯盟の極東諮問委員会に参加することを拒絶し、一九三七年⦅昭和十二年⦆十月二十七日及び十一月十日の二回に亘り一九二二年⦅大正十一年⦆二月六日締結せられたる九ケ国條約の他の調印国が「ブラツセル」に開催したる会議に出席し又は同條約の適用に就き論議することを拒絶し、一九三八年⦅昭和十三年⦆九月二十二日中華民国との紛争を仲介する国際聯盟に出席することを拒絶し、遂に一九三八年⦅昭和十三年⦆十一月四日前記九ケ国條約は最早現時代には適用されざるものなりと宣言せり

 日本は他の諸都市と共に一九三八年⦅昭和十三年⦆十月二十七日漢口を、一九四四年⦅昭和十九年⦆六月十八日長沙を、同年八月八日衡陽を、十一月十日桂林を、而して十一月十一日には柳州を攻略し以て中華民国に於ける其の軍事的侵略を継続せり而かも上述諸都市の夫々に於て故意に多数の一般人を殺害し且其の他非道なる行為を行ひたり

第三節 中華民国及び大東亜に於ける経済的侵略

 本起訴状の及ぶ期間中に於て日本は自国民に有利なる権利上の一般的優越性を確立し依て以て当初は満州に於て後には其の支配下に帰したる中華民国の他の部分に於て商業上、産業上及び金融上の諸企業の事実上の独占を樹立し且啻に日本及び此等諸企業に携はる自国民を富裕にする為めのみならず中華民国の抵抗力を弱化し他国及び他国民を排斥し且其後の侵略の資金及び軍需品を準備せんとする計画の一部として是等地域を開発利用せり

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 本計画は其の創業者の少くとも一部の者の意図せる如く経済的及び軍事的両面に於て漸時東「アジア」の残余の部分及び太洋洲⦅オセアニア州⦆に対する同様の企図を包含するに至れり

 其の後本計画は公式に『大東亜共栄圏』(本名称は是等地域に於ける日本の完全支配を目指す企図を偽装せんとせるものなり)に迄発展し日本は之を以て其の軍事行動の究極の目的をなすものなりと宣言せり

 本書第四節に既述せられたると同一の諸機関は上述の目的の為めに使用せられたり

第四節 中華民国及び他の占領地に於ける腐敗化及び強制の方法

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  本気訴状の及ぶ全期間中に於て歴代の日本国政府は陸海軍司令官並に軍部以外の機関を通じ中華民国及び彼等が既に占領し又は占領を企図せる他の地域に於て或は残虐及び残忍行為に依り或は武力及び武力の威嚇に依り或は賄賂及び腐敗化に依り或は地方政客及び将領間に於ける陰謀に依り或は直接間接に阿片其の他の麻薬の生産及び輸入の増加の奨励に依り或は又上記地域に於ける民衆間に斯る麻薬の売込及び消費を促進することに依り其等住民の抗戦意力を弱化せしめんとする組織的政策を続行せり 日本国政府は秘密裡に多額の金銭を支給し右金銭は上記地域に於ける政府後援下の阿片其の他の麻薬取引及び其の他の貿易活動に依り得たる利益と共に日本国政府の代行機関に依り上述の凡ての目的の為めに使用せられたり 同時に日本国政府は「阿片其の他の有害薬物の取引に関する国際聯盟委員会」の議事に積極的に参加しつつありたり且上述の秘密活動にも拘はらず日本が其の当事国の一員たりし阿片其の他の当事国と充分に協力しつつありと政界に向つて公言したり

 麻薬の不法取引に関する参加及び後援は一九四二年⦅昭和十七年⦆に大東亜省創設の為め統合せられたる対満事務局、興亜院及び南方事務局⦅英文より直訳、実は拓務省拓南局か⦆の如き幾多の日本国政府機関並に諸多の占領国及び所謂独立(傀儡)国にありて陸海軍の上級将校又は軍の任命せる文官により運営又は監督せられたる多数の補助機関及び商事会社に依り遂行せられたり

 加ふるに上述に阿片其の他の麻薬の取引による収入は本起訴状中に延べたる侵略戦争の準備及び遂行に要する財源として用ひられ又日本国政府に依り諸多の占領地に樹立せられたる傀儡政権の確立及び之に対する資金供給の為め使用せられたり

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第五節 戦争に対する一般的準備

 将来の侵略戦争を考慮に入るると共に中華民国に対し既に行ひつつある侵略戦争に対する他国の干渉を防止する為め日本は一九三二年⦅昭和七年⦆一月一日以来海軍、陸軍、生産及び財政上の戦争準備を強化したりその中特記すべきものは以下の如し但し之により上記の主張を制限するものにあらず

(イ)海軍

 日本は他の調印諸国を説得し自己に明かに有利なる海軍総噸数の共通最大限に同意せしめんとの企てに失敗したる後一九三四年⦅昭和九年⦆十二月二十九日頃「ワシントン」海軍條約を廃棄せり

 一九三六年⦅昭和十一年⦆六月二十三日頃日本は「ロンドン」海軍條約への加入を拒絶せり

 一九三八年⦅昭和十三年⦆二月十二日又は其の頃日本は「アメリカ」合衆国、「イギリス」及び「フランス」の要請に際し自国海軍建艦計画の通報を拒絶せり

 日本は不断に自国の海軍力を秘密裡に増強せり

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 一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月七日―八日真珠湾、「シンガポール」、香港、「マレー」及び上海に対し遂に行はれたる奇襲攻撃と太平洋及び「インド」洋に於ける他の場所並に「ソビエツト」社会主義共和国聯邦の領土に対する同様の攻撃とを目的とする秘密海軍計画を日本は不断に特に一九四一年⦅昭和十六年⦆中を通じて為したり

(ロ)陸軍

 日本は単に中華民国に対する侵略戦争のためのみならず、大部分は他の侵略戦争のために必要とせらるる如き程度に自国陸軍の兵力量を継続的且漸進的に増強せり一九三九年⦅昭和十四年⦆四月六日には国家総動員法を可決し其の後之を実施せり

(ハ)海陸軍

 日本は国際聯盟より委任統治権を与へられあtる島嶼を継続的且漸進的に要塞化せり

 違反せられたる条條約條項=第十五、第十七、第十八、第三十一

(ニ)生産

 日本は中華民国に対する侵略戦争に必要なる限度を越え、他の侵略戦争の為めに自国領土内及び其の占領下又は支配下に在る地域内に於て軍需生産力を継続的且漸進的に増強せり

(ホ)財政

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  上述の諸目的の為めに要セル財源は一部は予算に計上せられたる租税に依り一部は国債に依り更に一部は本附属書第三節に既述せる如き搾取による利得、特に本附属書第四節に既述せる麻薬の販売より生じたる利益に依り充当せられたり

第六節 日本の政治世論の戦争への編成替

 命令又は慣習に依り日本憲法中に編入せられたる二個の規定は政府に対する支配力を得るの機会を軍国主義者に与へ彼等は本起訴状の及ぶ期間中斯る機会を捉へたり

 其の第一は参謀総長、軍令部長及び他の陸海軍の首脳者が随時天皇に帷幄上奏を為し得るのみならず如何なる政府においても其の陸海軍大臣を任命し又はこれを辞任せしむる権利を有したることなり斯くして右両者の孰れも政府の成立を阻止し又は成立後其の瓦解を惹起することを得たり此の権力は一九三六年⦅昭和十一年⦆五月に於て陸海軍両大臣は現役上級将校を以て任ぜざる可からずとする規定の制定に依り更に強化せられたり例へば一九四〇年⦅昭和十五年⦆七月二十一日に於ける米内内閣の瓦解、一九四一年⦅昭和十六年⦆十月十六日に於ける第三次近衛内閣の瓦解は事実上陸軍に依り惹起せしめられたるものなり而して各々の場合右の各政府は陸軍の要望に更に一層追従する政府に依り引継がれたり

 其の第二は議会は予算否決権を有したるも此の権利は議会に何等統制力を与へざりしことなり何となれば此の場合に於ては前年度予算が引続き効力を有したればなり

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 此の時期に於て従来存したる自由なる議会的諸制度は漸次撲滅せられ「フアシスト」或は「ナチ」型類似の組織が導入せられたり此の事実は一九四〇年⦅昭和十五年⦆十月十二日の大政翼賛会及び其の後の翼賛政治会の設立に依り明確なる形を採るに至れり

 此の時期に於て膨張主義煽動の熾烈なる運動が進められ其の書記に於ては個々の著述家或は講演者等に依りて為されたるも漸次政府機関に依り組織化せらるるに至れり而して此等機関は右政策に対する反対者の言論著述の自由を撲滅したり之と同様の目的を有する多数の団体が――其の或るものは秘密結社として――陸海軍部内及び軍部以外の人々の間に設立せられたりこの政策に対する反対は本政策に充分なる好意を有せざるものと思考せられたる指導的政治家の暗殺並に斯かる暗殺の恐怖及び威嚇に依り潰滅せしめられたり警察機関殊に憲兵隊も亦斯かる戦争政策に対する反対を弾圧する為めに使用せられたり

 教育制度は陸海軍と軍以外とを問はず全体主義の精神、侵略、戦争要望、残忍、仮想敵国に対する憎悪の念を鼓吹するために使用せられたり

第七節 日本、「ドイツ」及び「イタリア」間の協力仏印及び「タイ」国に対する侵略

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 一九三六年⦅昭和十一年⦆初期以降の歴代日本国政府は「ヨーロッパ」の全体主義国家即ち「ドイツ」及び「イタリア」と緊密なる友好関係を修めたり該両国は東亜、「インド」洋及び太平洋に関する日本の計画と同様なる計画を世界の残余の部分に関して抱懐せるものなり

 一九三六年⦅昭和十一年⦆十一月二十五日右三国は秘密議定書及び秘密軍事條約を含む防共協定に調印せり 本協定は表面上「ソビエツト」社会主義共和国聯邦及び共産主義を対象となせるも実際に於ては一般に共同の侵略的行動への序幕としても意図せられしものなり

 「満州国」傀儡政権及び中華民国の南京政権を含めて枢軸三国の支配下にありし諸国は防共協定に仮名を許されたり

 一九三八年⦅昭和十三年⦆一月一日より一九三九年⦅昭和十四年⦆八月二十三日に至る迄の期間に於て日本、「ドイツ」及び「イタリア」間には経済的、政治的及び軍事的同盟の確立を目指し広汎なる交渉行はれたり

 一九三九年⦅昭和十四年⦆八月二十六日日本は在「ワシントン」日本国大使を通じ「アメリカ」合衆国に対し日本は防共協定に基く一層緊密なる関係を結ぶ為めの独伊との交渉を爾後一切放棄するに決したる旨確言せり

 日本及び「ドイツ」間に於ける経済的、政治的及び軍事的同盟確立の為めの交渉は一九四〇年⦅昭和十五年⦆七月再開せられたり

(E-73)
 後に「ドイツ」に追従する「フランス・ビシー」政権として知らるるに至りし当局者との間に「ドイツ」が一九四〇年⦅昭和十五年⦆六月休戦し「フランス」の大部分を占領したる後一九四〇年⦅昭和十五年⦆八月十三日より九月二十二日に至る迄の期間に於て日本は仏印総督府を誘導、強制し以て該地域特に其の北部に於ける軍事的、経済的権益の譲与を目的とする協定を日本と締結せしめたり一九四〇年⦅昭和十五年⦆九月二十二日日本軍は、その同日中に協定が調印せられたるに拘らず仏印軍隊を攻撃し強力なる抵抗に遭遇せり

 一九四〇年⦅昭和十五年⦆九月二十七日日本は「ドイツ」及び「イタリア」と三国協定に調印せり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆の初期「タイ」国、仏印間の国境紛争の機会に乗じ日本は右紛争の仲介者又は仲裁者として行動すると称し乍ら事実は将来の侵略に於て「タイ」国の援助及び服従を得んことを考慮し「タイ」国にとりて不当に有利なる解決を為せり同時に仏印に於て更に軍事的、経済的権益の譲与を要求せり右解決は一九四一年⦅昭和十六年⦆五月六日乃至九日に至る間に於て最後的に成立せり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆二月下旬より始めて日本及び「ドイツ」は「シンガポール」及び他国の領土に対する共同軍事行動の件に関する交渉を為せり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆七月一日「ドイツ」、「イタリア」及び他の「ヨーロツパ」諸国に於ける右両国への追従諸政府は日本の要請に依り所謂『中華民国々民政府』を承認せり

 一九四〇年⦅昭和十五年⦆七月十二日日本及び「タイ」国間に友好條約が調印せられたり

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 一九四一年⦅昭和十六年⦆五月より七月に至る迄の期間に於て日本は仏印総督府を更に誘導且強制して日本軍の南部仏印上陸、同地域に於ける海軍及び空軍の基地建設並びに一般的支配の獲得を許可せしめたり此の場合に於ける主要目的は直接には全「イギリス」聯邦と「オランダ」領「インド」に対し間接には「アメリカ」合衆国に対する侵略の為めの基地を準備するにありたり該協定は一九四一年⦅昭和十六年⦆七月二十一日及び二十九日最後的に締結せられ日本国軍隊は二十九日「サイゴン」に上陸し海空軍基地を建設し且仏印の支配力を一般的に獲得したり

 上記の対仏印交渉を通じて日本は其の目的達成の為め「ドイツ」及び「イタリア」の援助を利用して「ビシー」政権を強制し同時に不法武力に依る直接威嚇手段をも使用せり

 此の侵略及び其の後の侵略の威嚇に対する反動作用の意味に於て「アメリカ」合衆国は七月二十五日「グレート・ブリテン」国は七月二十六日其の支配下に在る日本及び中国の資産を凍結し日本に対し他の経済的圧迫を加へたり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆十一月二十五日日本は秘密條項附の防共協定を更新せり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月一日又は其の頃日本は三国協定を援用し敵対行為開始後に於ける合衆国に対する宣戦の布告及び『単独不講和條約』の締結を「ドイツ」及び「イタリア」に対し要請せり

(E-75)
 一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月五日日本は「アメリカ」合衆国に対し仏印に於ける軍隊の移動は予防手段に過ぎずと確言せり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月七日―八日日本は「アメリカ」合衆国、全「イギリス」聯邦及び「タイ」国の領土に対し奇襲攻撃を行ひたり而して此の後の二国に対する攻撃には仏印基地を使用せり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月十一日日本、「ドイツ」及び「イタリア」は『単独不講和協定』に調印せり

 一九四二年⦅昭和十七年⦆一月十八日日本、「ドイツ」及び「イタリア」間に於ける軍事協約が「ベルリン」に於て調印せられたり

 一九三六年⦅昭和十一年⦆より一九四五年⦅昭和二十年⦆に至る迄の期間中上記三国間に緊密なる軍事上、経済上及び外交上の協力並に情報交換が維持せられたり「ドイツ」の要請に応じ日本は一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月七日―八日の戦争の当初より仮借なき潜水艦戦と沈没又は捕獲されたる艦船の乗組員の撲滅とに関する「ドイツ」の政策を採用せり

 一九三九年⦅昭和十四年⦆より一九四一年⦅昭和十六年⦆に至る迄の期間「アメリカ」合衆国、全「イギリス」聯邦、「オランダ」王国並に「フランス」共和国に対し又一九三九年⦅昭和十四年⦆より一九四五年⦅昭和二十年⦆に至る迄の期間「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対し日本は威嚇的態度を維持し且此等諸国に対する攻撃に便利なる地方への軍隊の集中強化をなし名目上未だ中立を維持せし間に於てすら上記諸国に対する戦争に於て「ドイツ」及び「イタリア」を直接援助せしなり

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第八節 「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する侵略

 長年に亘り日本は「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対し絶えず戦争を準備し且侵略行為を行ひ来りたり

 一九一八年⦅大正七年⦆より一九二二年⦅大正十一年⦆に至る迄の期間に於て日本は「ソビエツト」領極東を略取せんとする其の企図に失敗せしも「バイカル」湖以東の「ソビエツト」領略取の意図を放棄せざりき

 一九二八年⦅昭和三年))以来日本国参謀本部は「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対し侵略戦争を計画しひたすらその開始の好機を窺ひつつありたり

 「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する侵略戦争の準備に於ける重大なる一段階は一九三一年⦅昭和六年⦆に於ける満州占領にして該地は朝鮮と共に数年の間に「ソビエツト」社会主義共和国聯邦攻撃のための軍事的根拠地に変ぜられたり戦略上重大なる意義を有する鉄道及び国道が一九三一年⦅昭和六年⦆以後満州に於て建設せられ且「ソビエツト」社会主義共和国聯邦の国境に延びたり関東軍兵力は一九三一年⦅昭和六年⦆に於ける二箇師団より増加せられ一九四一年⦅昭和十六年⦆には十五箇師団となれり

 「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する侵略戦争に於て有用となるべき多数の飛行場、要塞地帯、集積所、兵営、海港及び河港が新に構築せられたり

(E-77)
 満州に於ては軍需産業は急速に発達せり「ソビエツト」社会主義共和国聯邦の故郷に隣接せる地域は動員の際関東軍を増強するの目的を以て日本の予後備兵に依て殖民せられたり新聞紙、「ラヂオ」等に依る反「ソビエツト」宣伝は熾烈に行はれたり満州地方に於て日本は「ロシア」移住民中「ソビエツト」聯邦に敵意を有する分子を大規模に組織し且つ支援し彼等をして「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する適性行為に出づるの準備を為さしめたり日本は組織的に国境に於て武力衝突を仕組み又東支鉄道に於ける破壊行動及び「テロ」行為を仕組めり

 一九三九年⦅昭和十四年⦆再び日本は宣戦布告を為さずして「ソビエツト」社会主義共和国聯邦の同盟国たる蒙古人民共和国の領土を「ハルヒン・ゴール」河(ノモンハン)地域に於て攻撃し蒙古人民共和国軍及びその同盟軍たる赤軍と交戦せり其の双方の場合に於て日本は戦闘により赤軍の兵力を偵察せんとするの目的及び「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する将来の戦争の為めの戦略的地点を略取せんとするの目的を追求せしものなり日本は二回に亘り撃退せられ且重大なる損害を蒙りたるも「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する奇襲攻撃の準備を中止せざりき

(E-78)
  「ソビエツト」聯邦に対する戦争を準備するの一方日本は数年に亘り共同侵略に関し「ヒツトラー・ドイツ」及び「フアシスト・イタリア」と交渉を行ひたり侵略者達の本策謀に於ける主要段階は一九三六年⦅昭和十一年⦆に於ける所謂「防共協定」の締結及び「ソビエツト」社会主義共和国聯邦を含む民主々義的列強に対する共同侵略行為を目的とせる一九四〇年⦅昭和十五年⦆に於ける⦅日独伊⦆三国協定の調印なりき

 一九四一年⦅昭和十六年⦆三月民主々義的諸国に対する共同の侵略につき「ヒツトラー」と謀議する目的の為め「ベルリン」に滞在中、被告松岡は「ドイツ」国政府より「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する「ドイツ」国の戦争準備に関する情報を受けたり松岡は一九四一年⦅昭和十六年⦆四月十三日に日本の全権代表として中立條約を締結したる後、「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する「ドイツ」国の背信的攻撃の行はれたる後早くも七月初旬に、東京駐箚の「ソビエツト」大使に対し、日本外交政策の基調は「ドイツ」との同盟にある旨及び「ドイツ」が日本に対し援助を要求したる場合「ソビエツト」社会主義共和国聯邦との中立協定は日本が「ドイツ」側に立ちてsんそうを行ふことに就き何等の障礙をなすものに非ざる旨を公式に言明せり右言明の通り日本を支配せし軍閥は独「ソ」戦の全期間中公然と「ソビエツト」聯邦に対し敵意を示し精鋭なる軍隊を「ソビエツト」国境に駐屯せしめ且広汎なる反「ソビエツト」聯邦宣伝を組織的に行へり日本は「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に関する情報を「ドイツ」に提供して積極的に「ヒツトラー」支配下の「ドイツ」を援助し且禁止区域及特別制限水路を設定して海峡を封鎖し以て極東に於ける「ソビエツト」社会主義共和国聯邦の商船に対し海賊的攻撃を組織的に行へり

(E-79)

 一九四一年⦅昭和十六年⦆夏期に於ける「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する「ドイツ」の攻撃後日本は「ドイツ」に援助を与ふる為め満洲に於ける兵力を倍加し且つ後には此の兵力を百万に増強し依て「ソビエツト」聯邦をして相当兵力を対「ドイツ」戦に用ふる代りに極東に維持するの已むなきに至らしめたり

 此の一九四一年⦅昭和十六年⦆の夏日本は「ソビエツト」社会主義共和国聯邦に対する奇襲攻撃の新なる計画を作成し且関東軍をして右攻撃の為め準備完了の態勢に在らしめたり日本は右計画の実行を阻止せられたるが之は中立條約の為めに非ずして――上記に見らるる如く日本は同條約を無視せり――「ソビエツト」社会主義共和国聯邦軍隊の対「ドイツ」戦に於ける成功に基因したるものなり

第九節 日本、「アメリカ」合衆国、「フイリツピン」国及び全「イギリス」聯邦

本附属書中の他の節は凡て本節に関連するものなるも茲に反復せず

(E-80)
 一九三一年⦅昭和六年⦆より一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月に至る迄の間日本対「アメリカ」合衆国及び「グレート・ブリテン」国の関係は東亜に於ける日本の侵略行為及び国際交渉に於ける其の言行不一致の故に悪化の一路を辿れり

 「アメリカ」合衆国及び「グレート・ブリテン」国は屡次に渉り日本の軍事行動が本起訴状訴因第二に記載せる條約規定の違反なることを主張し且同條約に基く中華民国及び日本の義務に就て両国の注意を喚起せり「アメリカ」合衆国及び「グレート・ブリテン」国は又同條約に違反して満洲其の他の地域に於て生起せしめられたる如何なる状態を之れを承認せざるべき旨宣言せり

 日本は紛れなき言辞を以て中華民国に何等領土的野心を有せざること並に中華民国に於ける門戸開放政策を尊重すべき旨の誓約を与へたり、此等の誓約にも拘はらず日本は満洲国に傀儡政権を樹立し次で「アメリカ」合衆国及び「イギリス」の通商に対し門戸を閉鎖するの挙に出でたり

 日本は長城以南に何等領土的野心を有せずとの保証にも拘はらず満洲に於ける地歩を固めたる後東亜に於ける侵略政策を継続せり

 「アメリカ」合衆国及び「グレート・ブリテン」国は日本の最大の利益は平和にあることを悟らしめんと努力したり然れども日本の行動よりして同国が隣接せる諸国及び領土を獲得せんが為めに武力に訴へんと意図せることは明白なりき

(E-81)
 一九三五年⦅昭和十年⦆に於て日本は其の陸海軍兵力を増強し中華民国に対する支配を拡張せんが為めに制限的軍事行動に着手せり「アメリカ」合衆国及び「グレート・ブリテン」国は引続き條約上の義務に関し日本の注意を喚起したるも日本の軍事行動に対して何等効果を齎らさざりき

 一九三六年⦅昭和十一年⦆「アメリカ」合衆国は日本をして商業及び産業の分野に於ける機会均等の原則を承認せしめ優先的権利獲得の為め武力を行使せしめざることに努力したるも之亦日本の拒否する所となりたり

 一九三七年⦅昭和十二年⦆日本は「アメリカ」合衆国の提案せる国際関係の諸原則が自国の夫れと一致する旨宣言したるも東亜に於ける特殊事情を認識することに依りてのみ其の目的を達し得るものなることを述べ此の言明に制限を加へたり一九三七年⦅昭和十二年⦆日本は更に中華民国に軍事的侵略を開始したるを以て「アメリカ」合衆国は其の直後紛争に関し斡旋の労を採るべき旨申入れ両国に対し戦争を回避すべく要望せり該申入は日本の受諾する所とならず右要望は何等の効果を生ぜざりき同年日本は九国條約の規定に基き召集せられたる「ブラツセル」会議に出席すべき旨の招請を拒絶せり一九三七年⦅昭和十二年⦆八月二十六日日本国軍隊は在中国「イギリス」大使館所属の自動車を攻撃し又十二月十二日には揚子江上に於て「アメリカ」合衆国及「グレート・ブリテン」国所属の軍艦を攻撃せり

 一九三八年⦅昭和十三年⦆末日本は東亜に於ける新秩序政策を宣言し且中華民国に於ける門戸開放政策の維持に関し無條件保証を与ふることを拒絶せり

(E-82)
 爾後日本支配下の地域に於ける「アメリカ」合衆国国民及び「イギリス」国民の権利の日本による侵害の事実多数発生したるを以て一九三九年⦅昭和十四年⦆七月「アメリカ」合衆国は一九一一年⦅明治四十四年⦆の日米通商條約を終了せしむるの旨の通告を発したり

 一九四〇年⦅昭和十五年⦆九月に本の「ドイツ・イタリア」両国との軍事同盟締結後「アメリカ」合衆国は日本に対する鉄、鉄鋼及び諸原料の輸出に制限を加ふるの已むなきに至れり

 一九四一年⦅昭和十六年⦆三月諸懸案を解決し平和的解決に到達せんとの「アメリカ」合衆国の努力に因り在「ワシントン」日本国大使と「アメリカ」国務長官との間に数次の会談行はれたり、右会談の進行中日本は引続き明白に「アメリカ」合衆国、「オランダ」王国及び全「イギリス」聯邦に対して向けられたる南進政策決定せられたり、更に九月六日に開かれたる形義に於ては日本の要求が十月上旬の或時期迄に実現不可能と認められたる場合「アメリカ」合衆国、「グレート・ブリテン」国及び「オランダ」国に対し敵対行為を開始すべき旨の決定を見たり、越えて十二月一日に於ける会議は確定的に開戦を決定せり、上述の最後の二回の会議の決定は秘密に為されたり、一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月七日―八日未だ交渉の続行中日本は真珠湾に於て「アメリカ」合衆国の領土に対し、「シンガポール」、「マレー」、香港、及び上海に於て全「イギリス」聯邦の領土に対し、又「フイリツピン」国並に「タイ」国の各領土に対し奇襲攻撃を加へたり日本は宣戦布告の伝達を為さず又全「イギリス」聯邦及び「フイリツピン」国に対しては何等の文書をも交付せざりしなり、「アメリカ」合衆国に対しては前記の攻撃を加へたる後宣戦布告には該当せず又該当せしむる意図なき文書を交付せり
(E-83)
日本は本起訴状の訴因第七及び第八中に言及したる凡ての他の條約上の義務を全く無視せり

第十節 日本、「オランダ」王国、「ポルトガル」共和国

 「オランダ」領東「インド」及び「チモール」島の「ポルトガル」領は日本により垂涎せられ『大東亜共栄圏』と称せられたる地域内にありたり
  此等地域を攻撃せざる様日本を拘束せる一般條約に加ふるに條約條項第二十及び第二十一は各々明確なる語句にて此等諸国に言及せり日本は又「オランダ」と東「インド」に関する條約を締結し居りたるも該地意気に対する侵略準備の為め一九四〇年⦅昭和十五年⦆六月十二日之を廃棄せり時恰も「オランダ」本国は日本の同盟国たる「ドイツ」に依り背信的に席巻せられて間なく、「オランダ」政府は已むなく「イギリス」へ亡命し居りたり其の後日本は右亡命政権を強要し日本に不当に有利なる條件にて新條約に同意せしめんと努力したるも右政府は之に応ぜざりしものなり日本の東亜に於ける一般的侵略戦争の準備には「オランダ」領東「インド」を侵攻する意図を含み居りたり一九四一年⦅昭和十六年⦆七月に完了せる日本の仏印占領並に一九四一年⦅昭和十六年⦆十二月七日―八日に於ける「アメリカ」合衆国並に全「イギリス」聯邦の諸領土に対する攻撃は凡て「オランダ」領東「インド」への侵入を含む計画の一部なりしなり
(E-84)
  右計画は特定的に一九四一年⦅昭和十六年⦆九月六日の御前会議の決議事項の一とせられてるものなり故に「オランダ」政府は右攻撃後直ちに自己防衛の為め日本に対し宣戦を布告せり

 一九四二年⦅昭和十七年⦆一月十一日日本は「オランダ」領東「インド」に侵入し其の後急速に之を占領せり

 一九四二年⦅昭和十七年⦆二月十九日日本は何等の権利を主張することなく又は「ポルトガル」共和国との紛争を存せざるに「ポルトガル」領「チモール」に侵入し全聨合国に対する侵略戦争続行の目的の為め之を占領せり


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南京事件資料集