極東国際軍事裁判所判決文
A部 第二章 法

〈説明〉

本資料は、極東国際軍事裁判所判決文におけるA部 第二章 法を文字起ししたものである。原典は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている「極東国際軍事裁判所判決 〔第1冊-第13冊〕 A部 第一章-三章」の28コマ~47コマである。
掲載するにあたり旧漢字を新漢字に直した他は原典を再現している。文中の「(E-数字)」は、英文判決文のページ数に対応する。


極東国際軍事裁判所
判決
A部
第二章

(E-23)

A部 第二章

(イ)本裁判所の管轄権

  われわれの意見では、裁判所條例の法は、本裁判所にとつて決定的であり、これを拘束するものである。本裁判所は、最高司令官が連合国から与えられた権能に基いて設置した特別な裁判所である。その管轄権の根拠は裁判所條例にある。この裁判では、裁判所條例の中にあるものを除いては、裁判官はどのような管轄権ももつていない。本裁判所の裁判官を任命した最高司令官の命令は、次のように述べている。『本裁判所ノ裁判官ノ責任、権力及ビ任務ハ同裁判所條例ニ規定セラレアリ・・・・』。その結果として、もし右のようなことがなければ、本裁判所の裁判官は、被告の裁判に関して、まつたく権限をもつていないのであるが、本裁判所を構成し、かれらを裁判官として任命した文書によつて、被告を裁判する権限を与えられたのである。ただし、いかなる場合にも、裁判所條例に定められた法を裁判に適用するという義務と責任の下に常に立たされている。
  右に述べた意見は、つぎに述べるような見解が主張されることがあるとしても、その見解を支持するものと解釈してはならない。その見解というのは、連合国またはどの戦勝国でも、戦争犯罪人の裁判と処罰について規定するにあたつて、確立した国際法またはその規則もしくは原則と矛盾する法律を制定または公布したり、それらと矛盾する権限を自国の裁判所に与えたりする権利を国際法上でもつているという見解である。このような戦争犯罪人の裁判と処罰という目的のために、裁判所を創設する権利を行使し、その裁判所に権限を与えるにあたつて、交戦国は国際法の範囲内で行動することができるにすぎないのである。
(E-24)
  起訴状に含まれている起訴事実を審理し、判決を下す本裁判所の管轄権に対して、弁護側が抗弁したおもな理由は次の通りである。
(一)連合国は、最高司令官を通じて、『平和に対する罪』(第五條(イ))を裁判所條例に含め、これを裁判に付し得るものと指定する権能をもつていない。
(二)侵略戦争はそれ自体として不法なものではなく、国家的政策の手段としての戦争を放棄した一九二八年のパリー條約は、戦争犯罪の意味を拡げてもいないし、戦争を犯罪であるとしてもいない。
(三)戦争は国家の行為であり、それに対して、国際法上の個人的責任はない。
(四)裁判所條例の規定は、『事後』法であり、従つて不法である。
(五)ポツダム宣言の実施を定めている降伏文書は、この宣言の当時(一九四五年七月二十六日)の国際法によつて認められていた通例の戦争犯罪だけが訴追される犯罪であるという條件を課している。
(六)交戦中の殺害行為は、交戦法規または戦争の法規慣例の違反を構成する場合を除いて、戦争に通常伴うものであつて、殺人ではない。
(七)被告のうちの数名は捕虜であるから、一九二九年ジユネーヴ條約の規定に従つて、軍法会議で裁判することはできるが、本裁判所で裁判することはできない。
  裁判所條例の法は、本裁判所にとつて決定的であり、これを拘束するものであるから、弁護側が申立てた右の七つの主張のうちで、初めの四つについては、本裁判所はこれを却下すべき形式上の拘束を受けている。しかし、これに関連する法の諸問題が非常に重要であることにかんがみ、本裁判所は、これらの問題に関する裁判所の意見を記録しておく。
(E-25)
  一九四六年五月に、本裁判所は、この弁護側の申立てを却下し、裁判所條例の効力とそれに基く裁判所の管轄権とを確認し、この決定の理由は後に申渡すであろうと述べたが、その後に、ニユールンベルグで開かれた国際軍事裁判所は、一九四六年十月一日に、その判決を下した。同裁判所は、他のことと共に、次の意見を発表した。
『裁判所條例は、戦勝国の側で権力を恣意的に行使したものではなく、その制定の当時に存在していた国際法を表示したものである。』
『問題は、この條約(一九二八年八月二十七日のパリー條約)の法的効果は何であつたかということである。この條約に調印し、またはこれに加わつた諸国は、政策の手段として戦争に訴えることを将来に向つて無條件に不法であるとし、明示的にそれを放棄した。この條約に調印した後は、国家的政策の手段として戦争に訴える国は、どの国でも、この條約に違反するのである。本裁判所の意見では、国家的政策の手段としての戦争を厳粛に放棄したことは、必然的に次の命題を含蓄するものである。その命題というのは、このような戦争は国際法上で不法であるということ、避けることのできない、恐ろしい結果を伴うところの、このような戦争を計画し、遂行する者は、それをすることにおいて犯罪を行いつつあるのだということである。』
『ある事情のもとでは、国家の代表者を保護する国際法の原則は、国際法によつて犯罪的なものとして不法化されている行為には、適用することができない。これらの行為を行つた者は、適当な裁判による処罰を免れるために、公職の陰にかくれることはできない。』
『「法なければ犯罪なし」という法律格言は、主権を制限するものではなく、一般的な正義の原則である。(E-26)條約や誓約を無視して、警告なしに、隣接国を攻撃した者を処罰するのは不当であると主張することは、明らかに間違つている。なぜなら、このような事情のもとでは、攻撃者は自分が不法なことをしていることを知つているはずであり、従つて、かれを処罰することは、不当であるどころでなく、もしかれの不法行為が罰せられないですまされるならば、それこそ不当なのである。』
『裁判所條例は次のように明確に規定している・・・・「被告人ガ自己ノ政府又ハ上司ノ命令ニ従ヒ行動セル事実ハ被告人ヲシテ責任ヲ免レシムルモノニアラズ。但シ刑ノ軽減ノ為考慮スルコトヲ得。」
この規定は、すべての国の法と一致している。・・・・程度はいろいろであるが、大多数の国の刑事法の中に見られる真の基準は、命令の存在ということではなく、事実において心理上の選択が可能であつたかどうかということである。』
  ニユールンベルグ裁判所の以上の意見とその意見に到達するにあたつての推論に、本裁判所は完全に同意する。これらの意見は、先に挙げたところの、弁護側の強調した理由の初めの四つに対して、完全な答えを表わすものである。本裁判所とニユールンベルグ裁判所との條例が、重要な点において、すべて同一であることにかんがみ、本裁判所は、二ユールンベルグ裁判所の意見であつて本件に関連のあるものには、無條件の賛意を表するものである。いくらか違つた言葉で問題を新たに論じ、そのために、両裁判所の述べた意見について抵触する解釈が行われるようになつて、論争の起る途を開くよりは、その方がよいと考える。
  本裁判所の管轄権を弁護側が争つた第五の理由は、降伏文書とポツダム宣言によれば、裁判を行うべきものと考えられていた犯罪は、ポツダム宣言の当時の国際法によつて認められていた戦争犯罪だけであるから、それは裁判所條例の第五條(ロ)に述べられている通例の戦争犯罪だけであるというのである。
(E-27)
  侵略戦争は、ポツダム宣言の当時よりずつと前から、国際法上の犯罪であつたのであつて、弁護側が裁判所條例に与えようと試みている限定された解釈をする根拠は全然ない。
  いずれにしても、日本政府が降伏文書の條項を受諾することに同意したときには、戦争に対して責任があるといわれていた日本人が訴追されるということは、実際において日本政府が了解していなかつたという、特別な議論が申立てられた。
  この議論には、実際においてなんの基礎もない。本裁判所が満足と認める程度に立証されたところによれば、降伏文書に調印する前に、問題の点はすでに日本政府によつて考慮されていたのであり、降伏文書の受諾を唱えた当時の閣僚は、戦争に対して責任があるといわれた者が裁判に付せられるであろうということを予想していたのである。早くも一九四五年八月十日に、すなわち、降伏文書の調印よりも三週間前に、天皇は被告木戸に対して、『戦争責任者の処罰・・・・を思うと忍び難いものがある・・・・而し今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う』といつた。
  弁護側の第六の主張、すなわち、殺人を行つたという起訴事実に関する主張は、後に論ずることにする。
  これらの主張の第七は、捕虜として降伏した四名の被告、すなわち、板垣、木村、武藤及び佐藤のために行われている。かれらのために行われた申立ては、かれらはもと日本の軍隊に属していた者であり、また捕虜であるから、捕虜に関する一九二九年のジユネーヴ條約の條文、特に第六十條と第六十三條に従つて、捕虜として軍法会議で裁判し得るものであつて、この條約に基かないで構成された裁判所では、裁判し得ないというのである。この点こそ、山下事件において、アメリカ合衆国最高裁判所が決定したところである。故ストーン最高裁判所長官は、この裁判所の多数を代表して判決を言い渡すにあたつて、次のようにいつた。『以上に挙げた諸規定の文章のかかり工合からして、第三節とそれに含まれている第六十三條とは、捕虜である間に犯した罪について、捕虜に対して行われる裁判手続だけに適用されるものであることが明らかであるとわれわれは考える。この部分が第三章の第一節と第二節に言及されているもの以外の罪を取扱うものとして定められているということは、第五款には少しも示されていない。』この結論とこの結論に到達するにあたつての推論に、本裁判所は敬意をもつて同意するものである。
 本裁判所の管轄権を争うことは、まつたく成立しない。

(ロ)捕虜に対する戦争犯罪の責任

  捕虜と、一般人抑留者は、それを捕える政府の権力内にある。これは必ずしも前から常にそうではなかつた。しかし、最近の二世紀の間に、この立場は承認され、この趣旨の慣習法は一九〇七年のへーグ第四條約に正式に規定され、一九二九年のジユネーヴ俘虜條約でも繰返された。従つて、捕虜と一般人抑留者(以下すべて『捕虜』という)の保護の責任は、捕虜を留置している政府にある。この責任は、単なる扶養の義務に限られるものではなく、虐待の防止にも及ぶものである。特に、條約によつてと同様に、慣習国際法によつても禁止されているところの、捕虜に対する非人道的な行為は、捕虜に対して責任のある政府が防止すべきものである。(E-29)
  捕虜に対するこれらの義務を果すについては、政府は人によらなければならない。この意味で、責任ある政府とは、実に政府の職務を指揮し、統制する人々のことなのである。この場合に、また上に述べた点についても、われわれの関心は日本の内閣の閣僚にある。捕虜に対する義務は、政治上の抽象的な存在に課せられた無意味な義務ではない。それは特定の義務であつて、第一次的に、政府を構成する人々によつて履行されなければならない。近代の政府には非常に多くの義務と任務が伴うので、必然的に、義務の分割と委任に関する複雑な制度が生じる。戦時において、政府の手にある捕虜に対する政府の義務についていえば、その政府を構成する人々は、たとい捕虜の扶養と保護の義務をほかの者に委任したとしても、その捕虜に対して主要な、継続的な責任をもつものである。
  大体において、日本の手にあつた捕虜に対する責任は、次の者にあつたといつてよい。
(一)閣僚
(二)捕虜を留置している部隊の指揮官である陸海軍武官
(三)捕虜の福利に関係のある官庁の職員
(四)文官であると、陸海軍武官であるとにかかわりなく、捕虜を直接にみずから管理している職員
(E-30)
  捕虜に正当な待遇を与え、かれらの虐待を防ぐことは、責任のあるすべての人の義務であつて、それには、これらの目的にあてられた組織を設け、それを継続的に、効果的に運営されるようにしなければならない。これらの者は、次の場合に、この義務を怠り、捕虜の虐待について責任があることになる。
(一)このような組織を設けない場合
(二)このような組織を設けたとしても、それを継続的に、効果的に運営されるようにしない場合
  すべてこれらの者は、この組織が運営されていることを確かめる義務があり、もし確かめることを怠つたならば、それに対して責任がある。単に適当な組織を設けただけで、その後はその実際の運用を知ることを怠るならば、自己の義務を果したことにならない。たとえば、軍司令官または陸軍大臣は、この点に関するかれの命令について、かれが最も重要な事項について発したほかの命令の場合と同様に、それが確実に守られるように努力しなければならない。
  しかし、適当な組織が設けられ、継続的に、効果的に運営されるようになつていて、しかも通例の戦争犯罪が行われたという場合には、これらの者には責任がない。但し、次の場合はこのかぎりでない。
(一)そのような罪が犯されていることをかれらが知つており、そして、それを知つていながら、将来そのような罪が犯されることを防ぐために、自分の権限内の措置をとらなかつた場合、
または
(二)右のようなことを知ることができなかつたことについて、かれらに過失がある場合
(E-31)
  このような者には不注意または怠慢でない限り、右のことを知つていたか、または知つているべきであつたという場合に、このような犯罪を防ぐために、なにかの措置をとることを、かれの属する官庁がかれに要求し、または許可していたのであるならば、かれは不作為に対して責任を免れることはできない。他方で捕虜の管理について、自分よりいつそう直接に関係している他の者からの保証を受け容れたということを示しても、ほかの点で責任があれば、その者は罪を免除されるのに充分ではない。すなわち、右の他の人の地位とか、このような犯罪の報告の回数とか、そのほかの一切の事情から見て、それらの保証の真偽をさらに調査しなければならない立場におかれた場合である。犯罪がよく知られており、数が多く、時と場所から見て非常に広い範囲にわたつているということは、知つていたものと推定するについて、考慮されるべき事項である。
  内閣は政府の主要な機関の一つとして、捕虜の保護について、連帯して責任を負うものであつて、その閣僚は、すでに論じた意味の犯罪が行われていることを知つており、しかも将来このような犯罪が行われるのを防止する措置をとることを怠つたり、それに失敗しながら、あえて閣僚として引続き在任する場合には、かれは責任を解除されることはない。たといかれの主管している省が捕虜の保護について直接に関係していない場合でも、これはあてはまることである。閣僚は辞職することができる。かれが捕虜の虐待を知つており、将来の虐待を防ぐ力がないのに、あえて内閣に留まり、これによつて、引続き捕虜の保護についての内閣の連帯責任を分担するならば、将来のどのような虐待についても、かれはみずから好んで責任を引受けるものである。
  陸海軍の指揮官は、命令によつて捕虜に正当な待遇を与えるように、またその虐待を防ぐようにすることができる。陸海軍大臣もそうすることができる。(E-32)もしかれらの管理の下にある捕虜に対して犯罪が行われ、そのようなことが起りそうなことをかれらがあらかじめ知つていたか、知つているべきであつた場合には、かれらはこれらの犯罪に対して責任がある。たとえば、自己の指揮の下にある部隊の中で、通例の戦争犯罪が行われ、それについて、かれが知つていたか知つているべきであつた場合に、将来におけるそのような犯罪の発生を防ぐために、充分な措置をとらない指揮官は、将来のそのような犯罪について責任がある。
  捕虜の虐待を知つていた各省職員は、辞職をしなかつたという理由では、責任があることにはならない。しかし、もしその職務が捕虜の保護組織の運営を含むものであり、また、犯罪を知つていたか、知つているべきであつたのに、その将来における発生を防ぐために、自己の権限の範囲で、効果のあることを何もしなかつたとすれば、そのときは、そのような将来の犯罪に対して、かれらは責任がある。

(ハ)起訴状

『平和に対する罪』という表題のもとに、裁判所條例は五つの別個の犯罪を挙げている。これらの犯罪は、侵略戦争または国際法、條約、協定もしくは誓約に違反した戦争の計画、準備、開始及び遂行であつて、この四つに加えて、右のいずれかを達成するための共通の計画または共同謀議に参加するというもう一つの罪がある。起訴状は裁判所條例に基いており、以上のすべての罪は、裁判所條例の他の規定に基くそのほかの起訴事実に加えて、訴追されたものである。
  侵略的または不法な戦争を遂行する共同謀議は、その犯罪を行おうとする合意に、二人またはそれ以上の者が参加したときに生ずる。(E-33)その後に、この共同謀議を進めるために、このような戦争の計画と準備が続いて行われる。この段階において参加するものは、最初の共同謀議者であるか、あとになつて加わつた者かである。もし後者が共同謀議の目的を採用し、その達成のために計画と準備をするならば、かれらは共同謀議者となる。この理由によつて、すべての被告が共同謀議について訴追されているのであるから、共同謀議についてわれわれが有罪であると認定するかもしれない被告に関して、さらに計画と準備についても有罪の認定をする必要があるとは考えない。いいかえれば、われわれは起訴事実の妥当性を問題とはしないけれども、共同謀議について有罪の認定をされるかもしれないどの被告に関しても、訴因第六ないし第十七については、これを考慮に入れることも、有罪の決定をすることも、必要であるとは考えない。
  侵略戦争の開始と遂行に関する訴因に関連しても、同じような事態が生ずる。侵略戦争を開始するということは、ある場合には、ほかの意味をもつかもしれないが、本件の起訴状においては、敵対行為を開始するという意味が与えられている。この意味において、それは侵略戦争を実際に遂行することを含んでいる。このような戦争がある犯罪者によつて着手され、または開始された後に、その戦争を遂行することで有罪になるというような事情において、ほかの人がそれに参加するということがあり得る。しかし、この考慮は、侵略戦争の開始という訴因と、その遂行という訴因との双方について、有罪と決定すべき理由を少しも与えるものではない。従つて、われわれは、訴因第十八ないし第二十六については、あえて考慮しないことにする。
  訴因第三十七と第三十八は、殺人の共同謀議を訴追している。裁判所條例第五條の(ロ)号と(ハ)号は、通例の戦争犯罪と人道に対する罪を取扱つている。第五條の(ハ)号には、次の一句がある。(E-34)『上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルヲ問ハズ、責任ヲ有ス。』
  ニユールンベルグの裁判所條例にも、同じような規定があつたが、そこでは、独立した項になつており、本裁判所の條例のように(ハ)号のうちに入れられていなかつた。この規定の前後の関係からして、それは明らかにもつぱら(イ)号、すなわち平和に対する罪に関連しているものである。なぜなら、『共通ノ計画又ハ共同謀議』が犯罪とされているのは、ただこの部類においてだけだからである。通例の戦争犯罪と人道に対する罪を犯す共同謀議は、本裁判所の條例では、犯罪とされていないから、この規定はこれらの犯罪には適用されない。検察側はこの見解に対して争わず、これらの訴因は、裁判所條例第五條(イ)によつて、支持され得るものであると申立てた。侵略戦争の遂行は不法であり、殺人という不法な殺害行為を引き起すものであると主張したのである。この点から、さらに、戦争を不法に遂行する共同謀議は、殺人を行う共同謀議でもあると申立てられた。本裁判所が裁判することのできる犯罪は、裁判所條例に述べられている犯罪である。第五條(イ)は、その中に示されている罪を犯す共同謀議は、それみずから一つの犯罪であると述べている。第五條(イ)に明記されている罪で、共同謀議以外のものは、侵略戦争の『計画、準備、開始又ハ遂行』である。侵略戦争の遂行またはその他の方法によつて、殺人を行う共同謀議の罪については、なんら明記されていない。従つて、われわれは、訴因第三十七と第三十八に含まれている殺人を行う共同謀議という起訴事実については、これを取扱う管轄権をもつていないものと認定し、これらの起訴事実を受付けることを拒絶する。
(E-35)
  起訴状には、全部で五十五の訴因があつて、二十五人の被告を訴追している。訴因のうちの多くのものでは、各被告がそれぞれ訴追されており、その他の訴因では、十人またはそれ以上の被告が訴追されている。平和に対する罪だけについても、考慮すべき個々の起訴事実が七百五十六に上つている。
  この状態は、たとい起訴事実のうちのあるものが重複しているか、二つのうちのどちらかという場合でも、ある事項について有罪なことが検察側の提出しようとする証拠によつて示されるならば、その事項をすべて訴追するという普通のやり方を検察側が採用したことから起るのである。
  起訴事実の実質に関する以上の考察によつて、本裁判所の義務を避けたり、被告に対して公正を欠いたりしないでも、判定を与えなければならない平和に対する罪の訴因をこのように減らすことができるということがわかる。
  訴因第四十四と第五十三は、戦争法規に違反する罪を犯す共同謀議を訴追している。すでに論じた理由によつて、平和に対する罪以外には、いかなる罪を犯す共同謀議に関しても、裁判所條例は管轄権を与えていないとわれわれは認定する。通例の戦争犯罪を行う共同謀議の罪については、なんら明記されていない。この見解は、検察側によつて受諾されており、これらの訴因の下に有罪の決定をすることは、まつたく求められていない。従つて、これらの訴因は無視することにする。
  訴因第三十七、第三十八、第四十四及び第五十三に関して、以上に述べた意見は、本裁判所の管轄権を問題とする動議を却下したところの、一九四六年五月十七日の本裁判所の判定と矛盾しているように見えるかもしれないという点に関しては、その動議を審理したときには、この問題が提出されなかつたといえば充分である。ずつと後になつて、ニユールンベルグの判決が下された後に、この問題は被告の一人を代表する弁護人によつて提出された。この点に関しては、本裁判所はニユールンベルグの裁判所の見解に同意する。(E-36)従つて、これらの訴因については、本裁判所は、被告に有利な検察側の承認を受け容れる。
  訴因第三十九ないし第五十二(すでに論じた訴因第四十四を除く)は殺人という起訴事実を含んでいる。これらのすべての訴因では、示された場所と日時において、戦争を不法に遂行した結果として、殺害行為が行われたというのが訴追の要旨である。ある訴因では、その日時は、示された場所において敵対行為が開始された日時である。ほかの訴因では、その日時は、不法と主張される戦争がすでに進行している間に、その場所が攻撃された日時である。すべての場合に、殺害行為は戦争の不法な遂行から起つたものと主張されている。不法であるというのは、殺害行為が行われる前に、宣戦が全然なかつた点においてであるか(訴因第三十九ないし第四十三、第五十一及び第五十二)、殺害行為が戦争の継続中に行われた場合に、それらの戦争がある特定の條約の條文に違反して起されたからである(訴因第四十五ないし第五十)。どの場合でも、もしその戦争が不法でなかつたと認定されたとすれば、殺人という起訴事実は、不法な戦争の遂行という起訴事実とともに成立しなくなる。他方、なにかの特定の場合に、その戦争が不法であつたと認められるとすれば、そのときは、それに伴つて、これらの訴因に示されている日時と場所においてばかりでなく、戦争地域内のすべての場所と、戦争期間を通じてすべての時期とにおいて、不法な殺害行為が生じることになる。殺人の訴因によつて、右の犯罪のこれらの部分を取扱うことは、われわれの見解では、少しも有益な目的を果すことにならない。というのは、これらの戦争を不法に遂行するという罪全体が、このような戦争の遂行を訴追する訴因において、問題となつているからである。
  以上の所見は、列挙されたすべての訴因、すなわち訴因第三十九ないし第五十二(第四十四を除く)に関連するものである。訴因第四十五ないし第五十は述べ方があいまいである。これらの訴因は、異つた場所で、示された日時に行われた殺人を訴追している。(E-37)これらの殺人は、日本軍隊に対して、これらの場所を攻撃し、住民を殺害することを不法に命令し、行わせ、許可し、それによつて、一般人と武装解除された軍人を不法に殺害することによつて行われたものとされている。これらの訴因の言葉からは、不法な殺害という主張の基礎を、攻撃の不法性に置こうとするのか、その後における戦争法規の違反に置こうとするのか、またはその両方に置こうとするのか、あまり明瞭ではない。その意図が前者にあるのならば、この類の初めの方の諸訴因の場合と事情は同じである。もし戦争法規の違反に基礎を置くものとすれば、訴因第五十四と第五十五の起訴事実と重複している。これらの理由だけで、そして、このような事情のもとにおいて殺人の起訴事実の妥当性に関してどのような意見も表明する必要がないと認めて、われわれは、訴因第三十九ないし第四十三と訴因第四十五ないし第五十二とについて、判定を与える必要がないと決定した。