一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討 俘虜関係調査部

 
一九二九年七月二十七日の俘虜待遇条約準用の意義及範囲の検討
俘虜関係調査部

一 前言
 本冊子は一九二九年の俘虜待遇条約の適用に関し帝国政府より関係交戦国へ回答せし事項を国際法学者か国際法的に検討せしものを収録したるものなり
昭和二十年十二月二十五日
俘虜関係調査部

一 準用の意義及範囲に就て

1信夫淳平博士

 帝国政府は一九二九年の俘虜待遇条約を準用すへき旨を回答したるか、その回答の原正文を一■するに非すんは以て政府の意味したる準用の語義を正確に判断し難し。元来法律用語としての準用の語には、少くも二様の遣ひ方あり。一は法律に規定なき事項に対し規定ある条項を適用する謂ゆる類推準用にして、例へは刑事上の容疑者に対する訊問は被告に対する尋問の規定を準用するか如し(刑事訴訟法第一九三条)。二は規定の条項を適用するに方り多少の変更を加へて適用する場合の準用なりとす。この後者を欧語にては Application, mutatis ????????(application with necessary change) と称す。察するに政府の回答には、この語か用ひられてあるに非さるか。即ち条約の原条項を適用するを本則とするも、適用し難き特殊事由ある特定条項に関しては、必要なる変更を加へて之を適用すとの意味に於ける準用を指す。例へは俘虜待遇条約第十六条の保護国代表者の俘虜留置所の無例外の到訪及び無立会人にての俘虜との会談に関する規定は、帝国政府に於て防諜の必要上その儘に適用し難しと認むると仮定し、到訪に或制限を付し、又会談に監督吏員を立会はしむることに変更して之を適用するか如きは是れなり。故に原条項の適用は本則にして、準用は例外なり。例外なるか故に準用事項は之を厳且狭に解すへく、之を乱用せさるの注意を要す。随つて適用し難き特殊の事由は之を明示すへく、単に原条約中我方の気に入れる条項は採用し、気に入らさる条項は採用せすといふか如き、即ち本則と例外とを同列視して取捨するか如きは、準用の意味に背馳すと思考す。若し斯かる意向なりしとせは、初めより俘虜待遇條約を準用すと云はすして、本条約は帝国政府之を批准せさるものなるか故に全然その拘束を受けす、但し本条約中適当と認むる条項は、帝国政府は本条約の拘束関係とは離れ、別に任意之を採択して実施すへし、との意を以て回答したる方か勝りしなるへし。当時政府当局者かそこ迄の研究を周密に尽したる上にて準用云々の回答を発したるものなりや否や、多少の疑なき能はす。
(第一問の四。戦時重罪違反者は最初より俘虜として待遇を為さすして可なるや)
この命題にある待遇は取扱の意なるへし。この両語は世人往々混用す。然れとも取扱はtreatment なるに対し待遇はwarm(又はkind)treatment にして、両者の間に厚薄の差あり。
一九二九年の Convention relative au traitement des prisonniers は帝国政府の官訳文に於て「俘虜の待遇に関する----条約」と題してあるか故に、拙者も便宜上「俘虜待遇条約」と称呼するも、正確に云へは「俘虜の取扱----条約」と訳するを当れりとす。
右は文字の末節に係る支葉論として措き、本件は考慮に値する一問題なりと思考す。その故は、著し最初より俘虜として取扱ふものとすれは戦律犯人にしても身分は俘虜なるか故に、捕獲国は法規慣例の命する取扱を為し、処罰するにしても俘虜待遇条約の加入国、又は加入国に非さるもその準用国にありては、特定の手続きを尽したる上のこととなるか(例へは裁判には弁護人の帯同を許すか如き、上訴権を認むるか如き―同条約第六一条以下)、之に反し俘虜として取扱はさるものとすれは、捕獲国は斯かる規定に拘泥せす、任意の手続と方法にて之を処分するを得との論も立つへし。勿論対戦国の権内に陥れる敵人は、俘虜の名を付すへきものなると否とを問はす、又条約の有無に拘らす、又該條約の加入国たると否とを論せす、之を取扱ふに人道を以てすへきは国際の通義なるか故に勝手気儘に処分するなとの乱暴は許されさるの理なるか、技術的には斯く論し得られさるに非さるへし
英国の一九三六年改訂の軍事法提要には
第五十七節に俘虜と為すを得る者を列挙し、その首号に「軍隊の構成員、但し戦争犯罪人を除く」と摘記す。故に戦律犯に問はるる者は初めより俘虜とせす、随つて俘虜としての取扱を為ささらんとすれは為ささるも可なりか如き規定なりとす。
然れとも身見にては、俘虜の身分は彼か敵の政府の権内に陥ると同時に発生し、ために俘虜となれるに至れる事前又は事後に於て特定の事由に因り人道的取扱の一般的原則より除外さらることあるも、そは取扱上の差異なるに止まり、俘虜たるの身分に於ては変わりなきものと信す。仮に戦律犯を為せる敵は対戦国政府の権内に陥る場合には俘虜に非すとすれは、それか果して戦律犯人なるや否やは査問して見た上ならては判明せさるか故に、査問の結果戦律犯人に非すとのことか立証せらるる迄は俘虜の取扱を爲ささるも可なりと云へるへく、極端に言へは、直ちに之を殺すも妨けすといふ論にもなるへく、そは人道上面白かさる論に非さるか。俘虜は敵の権内に陥れるその瞬間に於て俘虜たるものにして、捕獲国か俘虜たるに至れる事前の行為を審理し、之に俘虜たるの取扱をなす事を決したる上にて俘虜となるものには非す、俘虜は人道的取扱を受くるものたるに於て始めて俘虜たるに非すして、俘虜たるの身分に於て即ち俘虜たるものなりとす。俘虜か戦律犯人なるか故に之に対する人道的取扱に取捨を加へ、法に導つて之を処分すれはとて、之に依り俘虜たるの身分そのものか当然剥奪せらるるものと見るは、或取扱の依つて生する基本的身分と、身分あるか故に之に対し為す所の(及為すへき筈なるものも特定の事由に因り為ささる所の)或取扱とを混同するものにして、正鵠の見に非すと應す

2水垣進講師

本条約は米英華の諸国は批准しあるも、日本は未批准なれは、形式的には今回の戦争には適用されない。但し米国の照会に対し、日本外務省は mutatis mutandis の条件の下に之を準用する旨の回答を発し居れり。
茲に於て此の mutatis mutandis の解釈は俘虜取扱問題の国際法違反なりや否やを決定する基準となるものてある。
一九〇七年の陸戦法規及ひ在来の国際慣例に比較して本条約は更に俘虜取扱の人道性を強調せる点に其の特質を見出すのてある。然し其の人道性の問題は戦時国際法の基本的原則たる作戦上の必要を無視して迄も主張するものに非すと考へる可きてある。茲に於ても此の両者は合理的基礎に立ちて融合しあるものと考へる。
日本は固より俘虜の取扱の人道性を否認するものてない事は当然てあるか、然し日本の遂行する作戦上の必要は、此の人道的取扱の一つの制限となるのてある。従つて回答の Mutatis mutandis も亦作戦上支障なき限りに於て、本条約の内容を準用するの意義に解すへきてある勿論、欧米の如き交通機関の発達、文化的諸施設の完備せる地域か、戦場になる場合と、東亜殊に南方諸地域の如き未開の地か戦場になる場合とは、俘虜の実際的取扱に際して、甚しく異ならさるを得ない事は明らかてある。
一九二九年条約か以上の欧米的諸地域の環境を主として考慮に入れたりとすれは、今回の戦争への之か準用、甚しく困難なる可し。従つて此の点も又本条約適用に於ける■的制限としての主要なる要素をなすと認めらる可てあるか、此の事も亦形式的は広義の「作戦遂行上の必要」の中に包含するも不可なるか可し。




参考資料