極東国際軍事裁判所判決文
C部 第九章 起訴状の訴因についての認定

〈説明〉
 本資料は、極東国際軍事裁判所判決文における第八章 通例の戦争犯罪を文字起ししたものである。原典は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている「極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕 B部 第八章-九章(書誌ID 000000841479)」である。掲載するにあたり旧漢字を新漢字に直した他は原典を忠実に再現している。なお、小見出しの後に記載されているページ数は、原典のページ数に対応している。


〈表紙〉

極東国際軍事裁判所
判決
C部
第九章

起訴状の訴因についての認定

英文一一三七―一一四四頁
一九四八年十一月一日

〈本文〉

C部 第九章 起訴状の訴因についての認定

  起訴状の訴因第一では、全被告が、他の人々とともに、共通の計画または共同謀議の立案または実行に参画したことが訴追されている。その共通の計画の目的は、日本が東アジア、太平洋及びインド洋と、その地域内にあるか、これに接壌するすべての諸国及び諸島嶼とにおける軍事的、政治的及び経済的の支配を獲得することであり、そして、その目的のために、日本が単独または同様の目的を有する他の諸国と共同して、その目的に反対する国または国々に対して、侵略戦争を行うことであつたと主張されている。
  この共同謀議に参画したとされている人のうちのある者が行つた言明の中には、上に述べた誇大な言葉に符合するものがあることは疑いない。しかし、われわれの意見では、これらが個人の野望の発表以上のものであつたということは、立証されていない。従つて、たとえば、これらの共同謀議者が本気で南北アメリカの支配を確保しようと決意したことがあるというようなことは、われわれは考えない。共同謀議者の願望が具体的な共通の計画として現わされた限りでは、かれらが日本の支配の下に置こうと決意した領土は、東アジア、西及び西南太平洋、及びインド洋と、これらの大洋における島々の一部とに限られていたというのがわれわれの意見である。そこで、われわれは、起訴事実が上に述べた目的に限られていたものとして、訴因第一を取扱うことにする。
  まず第一に、われわれは、上に述べた目的をもつた共同謀議の存在したことが立証されたかどうかを考慮することにする。
  すでに一九二八年より前に、最初の被告の一人であり、現在の精神状態を理由として本裁判から除外された大川は、日本は威嚇によつて、必要とあれば武力の行使によつて、その領土をアジア大陸に拡大せよと公然と唱道していた。また、日本は東部シベリアと南洋諸島を支配しようとつとめなければならないと唱道した。自分が唱道する道は、必ず東洋と西洋との戦争をもたらすものであつて、その戦争において、日本は東洋の戦士となるものであるとかれは予言した。この計画を唱道するについて、かれは日本の参謀本部の奨励と援助を受けた。この計画の目的として述べられたものこそ、実質的には、われわれの定義した共同謀議の目的であつた。われわれは、事実の検討にあたつて、この共同謀議の目的に関して、共同謀議者が後に行つた多くの言明に留意した。それらは、重要な点では、大川がさきに行つたこの言明と少しも違つていない。
  一九二七年から一九二九年まで、田中が総理大臣であつたときすでに、軍人の一派は、大川やその他の官民の支持者とともに、日本は武力の行使によつて進出しなければならないという、大川のこの政策を唱道していた。ここにおいて、共同謀議が存在した。一九四五年の日本の敗北まで、それは続いて存在した。田中か総理大臣であつたときの当面の問題は、田中とその閣僚が希望したように、日本は――満州を手初めに――大陸における勢力拡大を平和的進出によつて試みるべきか、それとも、共同謀議者が唱道したように、必要とあれば、武力の行使によつて、その拡大を達成すべきかということであつた。共同謀議者は、国民の支持と国民に対する支配をもつことがぜひとも必要であつた。これが、武カによつて自己の目的を達成することを主張した共同謀議者と、平和的手段によつて、少くとも武力を行使する時機をもつと慎重に選んで、日本の拡大をはかることを主張した政治家及び後になつて官僚との、長い闘争の始まりであつた。この闘争が最高潮に達するに至つて、共同謀議者は日本の政府の諸機関の支配を獲得し、共同謀議の目的を達成するために計画された侵略戦争に向つて、国民の精神と物的資源を準備し、組織統制することになつた。反対を押し切るために、共同謀議者はまつたく非立憲的な、ときにはまつたく残酷な手段を用いた。宣伝と説得が多くの者をかれらの味方に引き入れたが、内閣の承認しない、または内閣の拒否を無視したところの、国外における軍事行動、反対派の指導者の暗殺、かれらと協力しようとしない内閣を武力によつて倒そうという陰謀、首都を占拠し、政府を倒そうと企てた軍事的反乱さえも、共同謀議者が結局は日本の政治組織を支配するに至るために用いた戦術の一部であつた。
  共同謀議者が国内の反対を押し切るに充分な力があると考えるにつれて、そして、後になつて、かれらがついにこのような反対をまつたく押し切つてしまつたときに、日本が極東を支配しなければならないという、かれらの究極の目的を達成するために必要な攻撃を、かれらは次から次へと遂行していつた。一九三一年には、かれらは中国に対する侵略戦争を開始し、満州と熱河を占領した。一九三四年までには、かれらはすでに華北への浸透を開始し、その地方に駐兵し、かれらの目的に役立つように組織された傀儡諸政府を樹立していた。一九三七年から後には、大規模に中国に対する侵略戦争を続け、中国の大部分を侵略し、占領し、上述の形式に倣つた傀儡諸政府を樹立し、日本の軍事上の必要と一般的な必要とに充てるために、中国の経済と天然資源の開発を行つた。
  その間に、ソビエツト連邦に対して行おうと企てていた侵略戦争を、すでに長期間にわたつて、かれらは計画し、準備しつつあつた。その意図は、都合のよい機会があつたら、同国の極東諸領土を占拠することであつた。かれらの東アジアの開発と西及び西南太平洋の島々に対する企図とは、脅威を受ける自国の権益と領土を保証しようとするアメリカ合衆国、イギリス、フランス及びオランダとの紛争に、かれらを引きこむであろうということも、早くから認識していた。これらの国々に対する戦争についても、かれらは計画し、準備した。
  共同謀議者は、日本とドイツ及びイタリアとの同盟をもたらした。これらの両国の政策は、かれら自身のものと同様に、侵略的であつた。かれらの中国における侵略的行動のために、日本は国際連盟の非難を招き、世界の外交界で友を失つていたので、外交の分野でも軍事の分野でも、かれらは両国の支持を希望したのである。
  かれらかソビエツト連邦に対して企てていた攻撃は、種々の理由のために、ときどき延期された。その理由の中には、次のものがあつた。(一)意外に多量の軍需物資を吸収する中国の戦争で、日本は手つぱいであつたこと、(二)一九三九年に、ドイツがソビエツト連邦と不可侵條約を結び、これによつて、当分の間、ソビエツト連邦がその西部国境に攻撃を受ける脅威を免れ、もし日本が同国を攻撃したならば、東部諸領土の防衛のために、その兵力の大部を割くことができるかもしれなくなつたことである。
  ついで、一九四〇年には、ドイツがヨーロツパ大陸で大きな軍事的成功を収めた。しばらくの間、イギリス、フランス及びオランダは、極東における自己の権益と領土に対して、充分な保護を与える力がなかつた。合衆国の軍事的準備は、初期の段階にあつた。共同謀議者には、かれらの目的のうちで、西南アジアと、西及び西南太平洋やインド洋における島々とを、日本が支配するようにしようとする部分を実現するために、このような好機は容易に再び来るものでないと思われた。アメリカ合衆国との長い間の交渉で、中国に対する侵略戦争の結果として手に入れた収獲の重要な部分をすこしも手放そうとしてなかつたが、その交渉の後、一九四一年十二月七日に、共同謀議者は、合衆国とイギリス連邦に対して、侵略戦争を開始した。それより前に、一九四一年十二月七日の〇〇、〇〇時から日本とオランダとの間に戦争状態が存在すると述べた命令を、かれらはすでに発していた。かれらは仏印に軍隊を無理に進駐させることによつて、すでに前から、フイリツピン、マレー及びオランダ領東インドに対する攻撃の発進地を確保していた。右の進駐は、もしその便宜が拒絶されたならば、軍事行動に出るという威嚇によつて得たものであつた。オランダは戦争状態の存在を認めたので、また、これらの共同謀議者が長い間計画し、今やそれを実行に移そうとしていたオランダ領の極東領土への侵略という差し迫つた脅威に直面したので、自衛上日本に宣戦を布告した。
  侵略戦争を遂行するための、これらの広範な諸計画と、これらの侵略戦争に対する長期の、複雑な準備及びこれらの戦争の遂行は、一人の人間の仕事ではなかつた。それらは、共通の目的を達成するために、共通の計画を遂行しようとして行動した多くの指導者の仕事であつた。その共通の目的は、侵略戦争を準備し、遂行することによつて、日本による支配を確保しようということであつて、犯罪的な目的であつた。侵略戦争を遂行する共同謀議、または侵略戦争を遂行することよりも、いつそう重大な犯罪は、まことに想像することができない。なぜなら、その共同謀議は世界の人民の安全を脅かし、その遂行はこの安全を破壊するからである。このような共同謀議からおそらく生する結果、またその遂行から必ず生ずる結果は、数知れぬ人間の上に、死と苦悶とが襲いかかるということである。
  本裁判所は、訴因第一に附属した細目に明記されているところの、條約、協定及び誓約に違反した戦争を遂行する共同謀議が存在したかどうかを考慮する必要を認めない。侵略戦争を逐行する共同謀議は、すでに最高度において犯罪的なものであつた。
  本裁判所は、すでに述べた目的に関する制限を附した上で、訴因第一に主張されている侵略戦争を遂行する犯罪的共同謀議が存在したことは立証されているものと認定する。
  全被告またはそのうちのだれかがこの共同謀議に参加したかどうかという問題は、各個人の件を取扱うときに考慮することにする。
  この共同謀議は、多年の期間にわたつて存在し、また遂行されたものである。これらの共同謀議者は、すべてが最初に参加したわけではなく、また参加した者の一部は、それが終らないうちに、その遂行についての活動をすでにやめていた。どの時期にしても、この犯罪的共同謀議に参加した者、またはどの時期にしても、罪であることを知りながら、その遂行に加担した者は、すべて訴因第一に含まれた起訴事実について有罪である。
  訴因第一について、われわれが認定したところにかんがみて、訴因第二と第三、または第四を取扱う必要はない。訴因第二と第三は、われわれが訴因第一について立証されていると認定した共同謀議よりも、いつそう限られた目的をもつた共同謀議の立案または逐行を訴追するものであり、訴因第四は、訴因第一における共同謀議と同じものを、いつそう明細に訴追するものだからである。
  訴因第五は、訴因第一で訴追された共同謀議よりも、いつそう広範囲の、さらにいつそう誇大な目的をもつた共同謀議を訴追している。われわれの意見としては、共同謀議者のうちのある者は、これらの誇大な目的の達成を明らかに希望していたけれども、訴因第五に訴追された共同謀議が立証されているという認定を正当化するには、証拠が不充分である。
  この判決の前の部分で挙げた理由によつて、われわれは訴因第六ないし第二十六と、第三十七ないし第五十三とについては、なんの宣告も下す必要がないと考える。従つて、残るのは訴因第二十七ないし第三十六、第五十四及び第五十五だけである。これらの訴因について、われわれはここで認定を与えることにする。
  訴因第二十七ないし第三十六は、これらの訴因に挙げられた諸国に対して、侵略戦争並びに国際法、條約、協定及び誓約に違反する戦争を遂行したという罪を訴追している。さきほど終つた事実論において、フイリツピン国(訴因第三十)とタイ王国(訴因第三十四)を除いて、それらの国のすべてに対して、侵略戦争が行われたものとわれわれは認定した。フイリツピンについては、われわれがこれまで述べてきたように、この国は戦争中完全な主権国ではなかつたし、国際関係に関する限り、アメリカ合衆国の一部であつた。さらに、侵略戦争がフィイリツピンで行われたことは疑う余地がないとわれわれは述べたが、理論的正確を期するために、フイリツピンにおける侵略戦争はアメリカ合衆国に対して行われた侵略戦争の一部であるとわれわれは考えることにする。
  訴因第二十八は、訴因第二十七に挙げられた期間よりも短い期間に、中華民国に対して、侵略戦争を行つたことを訴追している。われわれは、訴因第二十七に含まれたところの、さらに完全な起訴事実が立証されていると認めるから、訴因第二十八については、なんの宣告も下さないことにする。
  侵略戦争が立証されたのであるから、それ以外の点で、それらの戦争が国際法にも違反し、または條約、協定及び誓約にも違反した戦争であつたかどうかを考慮することは、不必要である。従つて、本裁判所は、侵略戦争が訴因第二十七、第二十九、第三十一、第三十二、第三十三、第三十五及び第三十六に主張されているように遂行されたということは、立証されているものと認定する。
  訴因第五十四は、通例の戦争犯罪の遂行を命令し、授権し、許可したことを訴追している。訴因第五十五は、捕虜と一般人抑留者に関する條約と戦争法規の遵守を確保し、その遺反を防ぐために、充分な措置をとらなかつたことを訴追している。われわれは、これらの両方の訴因に含まれた犯罪が立証されている事例があつたと認定する。
  以上の認定の結果として、われわれは、個々の被告に対する起訴事実は、次の訴因だけについて、考慮しようとするものである。すなわち、第一、第二、第十七、第二十九、第三十一、第三十二、第三十三、第三十五、第三十六、第五十四及び第五十五である。